【創作大賞】守り守られ
なんでこんなことになってしまったんだろう…
ゴクリと唾をのみ込む私の首筋にすっと剃刀があてられる。
剃刀の刃だけではなく女の目もひんやりと光を帯びたように見えた…
家族は私が守る!
痛い痛いと訴える父の背中をさする。
折角戦争を無事切り抜けられたのに、死病にかかるなんて。昨年の4月に突然旅立った母と比べれば、看病できるだけいいとは思う。
だが、頑健だった父の体がやせ衰えていくのを日々感じるのは辛い。
長女として先頭を切って家のことを行ってきたが、妹のカズエと交代で父の世話をしたい、と思う時もある。
しかし、7歳年下の妹は母に甘やかされて育ったため、病める父が怖くて近寄れない。
父もよせばいいのに、
「カズエ~お父様の病気、触ってみるかぁ」
なんて笑いながら声をかけるから余計に怖がる。父としては冗談を言っているつもりなのだが、妹には恐怖の呼びかけにしか感じられない。
硬いゴリっとした固まりを好き好んで触りたい娘がいるわけがわない。
しかし、私は長女だ。さすることで痛みが少しでも和らぐのなら…
「すまんな、マサコ」
死病特有の息と共に父が詫びる。
「いいのよ。お父様…」
長女の私が家族を守らんでどうする!
マサコは笑顔で背中をさすった。
お母様に守られたい
「お母様!おかえりなさい!」
お母様は美しいお着物で飛行機から出てきた。
「カズエちゃん、ごめんなさいね。お友達がどうしても一緒に行きたいっていうから。カズエちゃんに沢山お土産を買ってきましたからね」
ニコニコとしながら足元のお土産を指さす。
お母様の指さす先には山のようなお土産が。
「お母様!見せて見せて!」
駆け寄ろうとした瞬間、目が覚めた。
カズエの双眸から涙が、あふれる。
去年の4月にお腹が痛いと訴えたお母様は、姉と共に病院へ行き、そのまま帰らぬ人となった。
優しかったお母様と会えない、その真実をどうしてもカズエは受け入れられなかった。それ以来、毎晩、母が海外旅行から帰ってくる夢を見る。
いつも怒ったような姉の目は、葬儀中は更に力が入っているように見えた。涙を一つもこぼさず、ずっと前を向いたままだった。
姉は悲しくないのだろうか、と泣きじゃくりながらカズエは思った。
その背中を兄のヒロノブがそっとさすり続けてくれた。
長男として守る
父はもう助からないそうだ。
姉と妹に挟まれ育ったせいか、ヒロノブは穏やかな性格の男だった。
運動と勉強では苦労をしたことがなく、特になにをするわけでもないのに、高校までスルスルと進んだ。
父はヒロノブが大学へ行くことを強く望んでいたし、まあそうなるのかな、と自分でも思っていた。
そんな時、父が倒れた。
病で床に就いても父は「大学に行く金はある」と進学を望んだ。
父の願いを聞いてやりたかったが、やせ衰えていく姿を見ていると、家族を守るのは三兄弟で黒一点の自分だと就職を決めた。
仕事に就いて家族を守るのは嫡男として当たり前の行動だ。
姉はヒロノブが大学を卒業するまでは家のことは任せろと言うが、跡取りとして大切に育てられた恩に報いるのは今しかない。
妹はまだ高校にも行っていない、右も左もわからない子どもだ。
やはりここは…
「ヒロノブ、大学はどうした?」
と父が聞くので、
「受かったよ。一番で」
と手を握りしめながら答えた。
「やっぱりなぁ…」
と弱々しく笑う父に隠れて姉がそっと涙をぬぐった。
私が守らなきゃ
叔父が女のお前にはわからないだろうと言ってきた時から、妙だと思っていたのだ。まさか土地の権利書を勝手に売ってしまうなんて。
いくら新しい女に金がいるからって!
泣きながら謝る叔母に「頭を上げてください」と言いいつつも、マサコは腹が立って仕方がなかった。
泣く叔母と怒り心頭の私の姿を見て、茶菓子を持ってきた妹がオロオロとふすまと廊下の間を行ったり来たりしている。
「なにやってるの!早くお茶を置いて向こうへ行きなさいっ!」
小さな妹に家の大事を悟られたくないあまり大声をあげてしまった。
妹はギュっと唇を噛み、部屋を出て行った。きっと部屋で母を思い出しながらヒロノブが帰ってくるまで泣いているだろう。
今日の夕飯はカズエに手伝わせるつもりだったのに。また一人で作らなきゃ。
なぜ、気遣っているのに怒っているような言い方をしてしまうのだろう。
正したくても正せない自分の癖を呪いながら、頭の中で今後の行動を素早くマサコは組み立て始めた。
私だって守りたい
姉さんはいつもいつもそう!私を子ども扱いして!
お母様ならあんな風に言わない!お母様どうして死んじゃったの?本当に海外から帰ってきてよ!
悲劇のヒロインばりに声を上げて泣いていると、ヒロノブが帰ってきた。
「カズエまた怒られたの?」
お兄様はいつも優しい。ゆっくりと背中を撫でて気持ちを落ち着かせてくれる。お兄様の優しさはお母様譲りだ。お姉様はその反対でお父様そっくり。
誰もが認めるお嬢様学校を卒業したのに、お父様亡きあとは家の一切を切り盛りしている。
どうして、あんなにいつもせわしなく働くんだろう?
どうして、いつも目の玉をひんむいて怒ってばかりいるのだろう?
私のことが可愛くないのだろうか?
「姉さんはお前が可愛いから怒るんだよ」
お兄様はそう言うけど、どうしても納得ができない。
「お…茶とお菓子で…もてなそうと…思ったの、に…」
「大人のおばさんが泣いているところを見せたくなかったんじゃないかな?中学生だもの。お前は」
「中学生は十分大人よ!」
「へぇ、そうかい?じゃあ今日の算術の宿題は一人でやれるね?」
「え?もう!お兄様ったら!」
お兄様は優しい…そしてお姉様も。でもやっぱり、もう少し優しくしてくれてもいいと思う。というか、私を大人として認めてよ!
仕事着から着替えた兄と共に夕食前の穏やかな時間をカズエは算術の宿題に費やした。
僕は守られてばかりじゃないか!
「姉さん、それはまずいんじゃあないのかい?」
カズエが寝た後で、姉さんが叔父の女のところへ乗り込むと言い出した。
財産を使われたのは悔しいが、相手は年上。ここは黙っているのが上策ではないだろうか?幸い、家屋敷はまだ祖父の手中にあり、自分の毎月の稼ぎがあれば3人なんとか暮らしていける。
「腹の虫が治まらないじゃあないの!」
妹に聞こえないよう声は抑えているが、姉は目の玉を飛び出さんばかりに怒り狂っている。
「本当ならあなたくらい出来が良ければ大学に通っていてもおかしくないのに、家のことを考えて就職したじゃあないの!せめてお父様が残した財産くらい全部あなたに渡したいのよ!」
「仕方ないよ。叔父さんだもの。意見なんて言えるわけがない」
「女だからって黙っていると思われるのが癪なのよ!叔母さんも叔母さんよ!謝りに来たはずが、結局、新しい女への愚痴を私に言いに来ただけなんだからっ」
亡くなった父は僕に期待をしていたが、内心では姉の胆力に一目を置いていた。
そして僕も。
本来なら、こういった状況では男の僕が出て行くべきではないのか?
「あなたはまだ19歳。余計な苦労はしないでいいんです!」
姉の鼻息を僕は止めることができないまま、次の朝、職場へ向かった。
これじゃあ、家族を守っているのではなく守られている状態じゃあないか。
ヒロノブの胸に苦いものが広がった。
私が解決しないで誰がやる!
叔母のグジグジした言い訳が起爆剤となって女の家の前まで来てしまった。
女は髪結いをしている。店内はなぜか静まり返っていた。
いないのかしら?
弟に啖呵を切った手前、なにかしらの成果を上げたいのだが、どうしても扉を開ける勇気が出ない。
(こら!しっかりしろマサコ!)
手を出したりひっこめたりしていると後ろから声をかけられた。
「マサコ、なにをしているんだ?」
振り向くと叔父がいた。
「叔父さん…」
その横に半歩下がった状態で小綺麗な若い女がいた。
私とそう歳は変わらないかもしれない。
生活疲れの叔母ととは大違い。そうかこの人が…
みるみる目に力が入り始めたマサコに気づいた叔父が
「こんなところじゃなんだから」
と女の家へとマサコを引きずり込む。
「叔父さん!いったいどういうことよ!父が生前色々と助けてあげた恩を仇で返すような!勝手に財産を使うなんて!どうしてよ!」
叔父はふてくされて横を向いたままだ。その横顔には女だてらに、という文字がくっきりと浮かび上がっている。
出された茶を飲まずにがなり立てていると女が急に、
「お嬢さん、産毛をお剃りいたしましょう」
と立ち上がった。
敵の申し出、断ってたまるものかっ。
「ええ、お願いします!」
鼻息荒くマサコは立ち上がった。
みんな誰かを守っている
「お綺麗な肌ですね、お年は?」
「21です!」
剃刀と女の目に、おじけづいたことを悟られないよう、マサコは目の力を更に強める。父は女なんだからそんなに怖い顔をするな、と言っていたが、今はこの目だけが頼り。
ええい!切れるもんなら切ってみなさいよっ!
「21ですか。それではコテも当てましょう。お嬢さんは目が大きくてはっきりとしたお顔立ちですから、きっとウェーブがお似合いですよ」
ん?え?ええ?
「私にはね、弟がいるんですよ。可愛くてねぇ」
そりゃそうでしょうよ。私も弟と妹が可愛いわよ。あの子達は絶対私が幸せにしてあげるんだから。
「親を早くに亡くしましてね。2人で寄り添って生きてきたんです」
「…」
「奥様にもお嬢様にも本当に悪いと思っています。ですが、私にお返しできるのは…これくらいしか」
女の声が微かに震えるのを感じ、ふと顔を上げると目に光るものがあった。
ただ、手は正確に正確にウェーブを形作っていく。
悪いのは女ではなく、女が我慢して生きるこの世の中だ…。
バツの悪そうに下を向く叔父に最後のにらみを浴びせ、女に一礼をしてマサコは家へと急いだ。
俺が守る!守るけど…あれ?
本当にマサちゃんは昔からはねっかえりで、危険に自ら飛び込んでいく。
ノブちゃんが浮かない顔をしているので聞いてみると、また危ない場所へと飛び込んでいた。小学生の頃、滝つぼに一人だけ飛び込んだ時と同じじゃあないか!
ハトコとして小さい頃から遊んできたけれど、マサコの暴れっぷりには、いつも閉口していた。
一方で惹かれてもいた。
年頃になると気になる存在として常に心の中に、いた。
しかし、母一人子一人の家庭と大きな家のお嬢さんでは立場が違い過ぎる、と諦めてもいた。
叔母と叔父が続けて亡くなりマサコが、がむしゃらに家を守り始めた。マサコは弟と妹のために必死で家を守っていた。
その姿を見て更に遠い存在になったように感じた。そうやって足踏みをしていると、マサちゃんは守れない場所へ場所へと走っていく。
力がないことを理由にマサコに近づかないようにしていたが、まさか叔父にくってかかるなんて。家の格がどうだとかそんなことを気にせず声をかけていればこんなことには!
仕事を放りだし、叔父の愛人の家に向かって走っていると、遠くから見慣れた目玉が近づいてきた。
「マモルさん!なにやっているの?仕事は?」
仕事じゃないよ…もう…
足から力が抜けかかったが、ここでへたりこんではマサコに背中をどやされてしまう。
「いや仕事が今日は終わって…早く…その」
「訳の分からない人ね!」
「あ…いや…そうだ!美味しいおでんがあるんだよ」
「へ?おでん?」
「近くの屋台なんだ。食べに行こう!」
「えっ、私これから夕食の支度が」
「小腹抑えにちょこっと食べて、夕飯用に少し見繕ってもらえばいいじゃあないか!」
ここにいることが説明ができず、思わずマサコの腕を取りグイグイと歩き始めた。
「痛いってばっ」
「あっ!ごめん!」
自分の行動に驚き顔を赤らめた時には、すでに屋台の前まで来ていた。
「…」
「なにしてんの?食べるの?食べないの?」
「あ、ああ!食べるっ。食べます!」
「変なマモルさん」
笑いながらマサコはおでんを注文していく。
いつもと違う髪型が大きな目によく似合う。
ついつい見とれていると、
「ああ?これ?叔父の女がね…」
さっきまで動かしていた箸と口が止まった瞬間、マサコの目から大粒の涙がこぼれた。
「ごめんなさい。ごめんなさい…ちょっとだけ泣かせて。家では泣けないから」
泣くマサコの横でマモルは黙々とおでんをほおばっていた。
皿の上を綺麗にしたところでマモルはマサコの方へ向いた。
「結婚してください」
2人して箸を落とした。
いや3人だ。おでん屋のおやじも菜箸を落とした。
「あ、いや…そのっ」
自然とこぼれ出た言葉にマモルは目を白黒させる。
その様子にマサコは思わず笑みをこぼした。
私が秘密を守ってあげる
お兄様がそわそわしている。いったいなにがあったんでしょう?
いくら聞いても上の空。
どうしてお姉様もお兄様も私を子ども扱いするのかしら?
「ただいまぁ」
お姉様が帰ってきた!
「お姉様!今日のお支度はお姉様の当番でしょ!どうするのよ!」
「ちょっと遠くに用事があってね。おでんを買って帰ってきたから」
「おでん!やったぁ。実はね、お味噌汁とご飯はできているのよ」
「え?カズエが?偉いじゃない。やっぱりあなたはできる子なのよ。私がいつも言ってる通り」
「えー。気を利かせたこともお姉様のおかげなの?」
「そうよぉ。全てがお姉様のおかげなのよ!感謝しなさい」
あれ?なんだかやけに機嫌がいい。
「マモルさん、お疲れ様」
お兄様がマモルさんに声をかける。2人で大丈夫だったとかなんとかヒソヒソとやっている。
「マモルさん、どうしてお姉様と一緒なの?」
「そこでちょっと、会って」
あれ?マモルさんもなんか変。
「お腹空いたな。早く夕飯を食べよう。マモルさんもあがって」
お兄様がマモルさんを家の中へ誘う。
いや僕はおでんを食べたからなんだとか、モゴモゴしているので、
「もうすでに片足の靴が脱げててよ」
とからかってやった。
「カズちゃんにはかなわないなぁ」
とマモルさんは安心したように笑みを浮かべ、ようやくあがった。
お姉様はすましてお新香を切っている。マモルさんが食べると言ってないのに用意されたお新香のお皿は4つ。
まあ、いいわ。ここは武士の情け。黙っていてやろうじゃないの。
みんなが思っているより私は子どもじゃないのよ。
お兄様はわからないみたいだけど私にはわかるわ。マモルさんに目配せしてやったら目を白黒させていた。
お姉様、秘密は私は守ってあげる。