【感想文】豆島 圭さん「言の葉ノ架け橋」この物語はどこまでも続く
創作大賞期間中に間に合わなかった作品の感想文を不定期で書いていきます。
本日は豆島 圭さん「言の葉ノ架け橋」です。
主人公に顔パンをしてやりたい!と思わず叫んでしまった「残夢」とはガラリと異なる作風の「言の葉ノ架け橋」。しかし、相変わらず無数にある真実に寄り添う姿勢は本作の中でも伺えました。
不登校児が通う施設を舞台にした場合「子どもは善・大人は悪」という描き方が一番多く、本作も子どもに寄り添うことに心を砕く主人公の姿が描かれています。しかし、無数にある真実に寄り添える能力に長けている豆島さんはその枠にとらわれません。
将来、社会に出るために歩みやすい道を模索するのが不登校の生徒が通う施設を舞台の場合、子どもは大人や周囲からの無理解に傷つけられた被害者として画一的に描かれがちです。心に傷を負った子とどのようにして寄り添うか、そこをクローズアップする描き方が選択されるのは当然でしょう。
しかし、豆島さんは寄り添うことが難しい子どももきちんと描きます。これが私には非常にリアルに感じました。生身の人間と向き合う実際の職員の方々は、こういった問題に直面しているはずです。不登校と一口にいっても家庭環境や性格で1人ひとりへのアプローチは異なります。その部分を丁寧に描くことで豆島さんは無数にある真実を私に見せてくれました。
可愛いパグとヨウムを配置することで柔らかな雰囲気を描き出していますが、主人公門馬希生を取り巻く問題を完全に解決しないよう豆島さんは描きます。職員も生徒も1人ひとりが異なる人間で助けを求めたり、よりよい道を探しながら生きているのです。簡単に解決しないことで「言の葉ノ架け橋」は奥行きのある小説となり、人としての成長を描いていると感じました。
ヨウムの不思議な能力はなぜ発揮されるのか
ウメ子の能力の真実は噂だったのか
希生の失われた記憶は完全に蘇る時は来るのか
この3点もハッキリとした解決が示されないまま「言の葉ノ架け橋」は終わります。ウメ子については昔の噂だったと終わっていそうですが、彼女の「フガフガ」を翻訳するヨウムのヨウちゃんの能力が説明がつかないです。これは「言の葉ノ架け橋」の続編を豆島さんが読者に伝えるサインではないかと私は考えました。新しく入ってくるであろう生徒もチラリと出ているだけなので、豆島さんは続編を考えているはず。
だから、
この物語はどこまでも続く
そう信じて本日の感想文を終わります。