見出し画像

【#アフター宴】祖母の呪縛

今まで短い文章を紡ぎ出す作品に手を出さなかったのにはトラウマがあったからで。

その原因は祖母😂


子どもの頃、押入れの中から、祖父が俳句の会に入っていた頃の手紙を見つけました。俳句への感想が書かれた手紙の最後には有名な文士のお名前が。

記憶がおぼろげなため、私は「菊池寛」、妹は「武者小路実篤」と覚えているのですが、どちらも違っている可能性があります。ただ、とにかく文学史で必ず学ぶ有名人の名前ではありました。

妹と2人でビックリしてなぜ有名人が祖父の俳句への感想を綴った手紙があるのかと祖母に尋ねると、

「おじいちゃん俳句の会に入ってたんだよ」

とシラっと答えます。昭和の初めの頃、祖父は俳句の会に参加していたらしいのです。

祖父母は戦前本郷区(今の文京区)に住んでおり、文京区ならば文士も沢山いたはず、すごいすごいと妹と興奮していると、

「すごいことなんてあるかい!」

と祖母がいきりたったのです。

「だって文豪じゃん!」と鼻息荒い孫に、
「こちとら赤ん坊抱えて1日中大忙しだってのに、仕事の後に句会で遊ぶなんてダメだろっ!さっさと帰って子供の面倒みろって辞めさせてやったよ!」
「ひ、酷い😨……」

あまりの酷さに妹と絶句😂

祖父が句会に入っていた頃の若かりし祖母
祖父に怒りをぶつける若き祖母

祖父は戦争で亡くなったので会ったことはありませんが、とにかく優しい人だったようです。祖母の理不尽な怒りに従い、句会をやめて夕食の支度中は子どもの面倒を見ていたとか。

「優しい人だったんだよぉ」と祖母はよく話していました。

なら優しくしてあげてよぉ~💦

祖母が「らんまん」のすえちゃんくらい尽くす女だったら祖父はひとかどの俳人になっていたかもしれません😂
妹と残念だったねぇと今でも笑いながら話しています。

手紙の有名人、菊池寛だったのか武者小路実篤だったのか。

句会 菊池寛
句会 武者小路実篤

で検索してみましたが、引っかかりません。
どちらの句会だったのでしょう?
それとも他の方の句会だったのでしょうか?

そのためか、なんとなく短歌や俳句、54字に手を出せずにいました。祖父に申し訳ない気持ちをなんとなく感じてしまって。

でも実際に体験したら54字、とても面白かったです😊
そのうち短歌や俳句にもチャレンジしてみようかな?

🖊️🖊️🖊️

木曜日に向けてアフター宴のお題ごとに54字を考えています。

でも、思いました。全てのお題を制覇するだけではつまらないんじゃないかって。

そこで私、お題&ガラスの仮面愛をセットにした54字も書いてみようと思いつきました。

通常の54字はほぼ書き終わりましたので、これから「ガラスの仮面」愛編を考え始めたいと思います。

noteを始めた頃はガラスの仮面愛がさく裂していました😂

最近、書くことがありすぎて「ガラスの仮面」への愛を語る記事を投稿していないんですよね。

クリエイターフェス中ですし、初心に返って「ガラスの仮面」に触れていけたらと考えております。

こちらはお題の全制覇は難しいかなぁ💦

アフター宴の詳細はこちら👇


いいなと思ったら応援しよう!