『レジャー白書』から見る麻雀の歴史③(1990年代後半)
3.世界を変えたギャル雀(1990年代後半)
1995年のウマ娘
1990年代には、さまざまなレジャーで女性ファンが増加していました。
そうしたレジャーには、前回の記事で紹介したゲームセンターのように、従来の男性ファンだけではやっていけず、ファン層の拡大を迫られたものもありました。また、1986年に施行された男女雇用機会均等法によって女性の社会進出が進んだことで、経済力を増した女性ファンを積極的に取り込もうとしたレジャーもありました。
ゲームセンター
午前0時以降の営業を禁じた1985年施行の新風営法によって低迷したゲームセンターは、1990年代に男性中心の盛り場レジャーから脱することで復活を遂げました。
パチンコ
「娯楽の王様」パチンコは、1990年代には市場規模が30兆円に達する一方、80年代にくらべると徐々にファンを減らしはじめており、女性ファン獲得に舵を切っていました。
中央競馬
中央競馬も1990年代は女性ファンの増加がめざましく、参加人口のピーク(1540万人)となった1995年には、「増加要因はすべて女性ファン」とまで言われていました。今から30年前には、リアルウマ娘たちが競馬場に押し寄せていたわけです。
ギャル雀の時代
麻雀に目を向けると、男性中心には変わりありませんが、他のレジャーと同様に、1990年代後半にファン層拡大の動きがありました。女性メンバーを多数そろえた低レート雀荘である「ギャル雀」の流行です。
伝説の「ポリエステル100%」
下に貼った銀玉親方・山崎一夫氏の記事は、高田馬場にあったギャル雀の元祖である「ポリエステル100%」(1994〜2003年頃営業)の盛況を伝えています。
「ポリエステル100%」の成功を受けて、当の山崎氏本人が、追随店である雀荘「たぬ 高田馬場店」を1996年12月に開業しています(2020年に閉店)。おおむね、この辺りから似たような店がどんどん増えていったと見ていいでしょう。
しかし、ギャル雀の流行は、ゲームセンターのような業界全体の活性化にはつながりませんでした。
と2014年には書いていましたが、最近では、けっこう活性化につながったんじゃないかという考えに変わりました。
ギャル雀からMリーグへ
下に貼った近代麻雀noteでは、「ポリエステル100%」の元メンバーが当時の体験談を語っており、以下のように結ばれています。
現在は「ギャル雀」とあえて銘打ってはいませんが、こういった形態の雀荘は広く普及しています。
また、1990年代後半のギャル雀の流行からまもなくして、各麻雀プロ団体で女流プロだけのタイトル戦が次々と生まれています。
2018年に初代Mリーガーに選ばれた5人の女流プロは、全員が上に挙げた4つのタイトルのいずれかを獲っていました。また、前述の近代麻雀noteの記事では、「ポリエステル100%」出身の女性Mリーガーもいることが語られています。
まとめると、以下の流れになります。
というわけで、麻雀界でも1990年代後半から女性メンバーや女流プロをフィーチャーすることでファン層を拡大する動きがあり、ギャル雀の延長線上にMリーグもあると言えます。
「天才史観」は正しいか?
途方もない発想を持った人物が歴史を作ったという「天才史観」を取るなら、「ポリエステル100%」を始めた河本智彦さんその他が、現在の麻雀界の流れを作ったと見ることもできます。しかし、私はこうした天才史観はあまり信じてないんですよね。
福地誠先生も、以下のnoteでこうした見方をバッサリ切り捨てています。
この記事の前半で見たとおり、1990年代にはさまざまなレジャーでファン層を拡大しようという動きがあり、ギャル雀もそのひとつの表れだったと言えます。そして、女性の社会進出もあいまって女流プロが増えていったというのが実相に近いのかなと思います。