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三大麻雀映画を観てみた

前回までの記事で麻雀小説をいくつか読んでみて、今度はそれぞれの作品を映画化したものも観たくなったので、それらの映画のレビューを書いていきます。

タイトルに「三大」とつけているのは、有名な以下3人の雀豪作家の作品を対象としているからです。といっても、麻雀とはあまり関係のない作品が入っていたり、映画じゃなくてドラマだったりと、例によって「三大」とは名ばかりになっています。

雀魂段位ピラミッド
  1. 阿佐田哲也『麻雀放浪記』(1969)

  2. 白川道『病葉流れて』(1998)

  3. 伊集院静『いねむり先生』(2011)

上記の3つの小説を原作とした以下の5つの映画・ドラマを観る予定でしたが、『拝啓 色川先生』は視聴できなかったので、実際に観たのは4作品になります。

1-1. 映画『麻雀放浪記』(1984)
1-2. 映画『麻雀放浪記2020』(2019)
2.  映画『病葉流れて』(2008)
3-1. ドラマ『いねむり先生』(2013)
3-2. ドラマ『拝啓 色川先生』(2014) ×

ちなみに、各サブスクの配信・レンタル状況はこんな感じでした。

2024年2月時点の配信・レンタル状況

この5作品のうち、『病葉流れて』を除く4作品には阿佐田哲也が出てきます。それぞれの阿佐田役を並べるとこんな感じ(真ん中は本人)。若いころは明日をも知れぬバクチ打ち、老いては功成り名遂げた作家として後進を優しく見守る――いいポジションだよな。

各作品のストーリーと闘牌を、最高で星5つとして評価していきます。

【注意】この記事には、各作品についてのネタバレがあります。


1-1. 映画『麻雀放浪記』(1984)

戦後まもなくを舞台に、アクの強い面々にもまれながらイカサマ麻雀でしのいでゆく主人公・坊や哲の姿を描いた映画『麻雀放浪記』は、全編モノクロで撮られています。カラーよりお金がかかったそうですが、モノクロの方が戦後の時代を描くのにふさわしかったからとのことです。

意外と盛り上がらない

この映画を観るのは二度目で、けっこう面白かった記憶がありました。しかし、最近になって原作を読み返したせいか、改めて観るとダイジェスト感が強かったです。1984年当時は二本立てで上映されていたため、1時間40分台と決まっていたそうですが、各シーンの尺が短く物足りない印象を受けました。

麻雀シーンについて言うと、大金を賭けているのはわかっても、当時のレートがピンとこなかったり、点差や勝ち負けの程度がよくわからなかったりで、手に汗握るという感じにはなりませんでした。
よくネタにされる『アカギ』の「昭和40年の5億は現在の50億」も、勝負の緊迫感を高める上では有効だったんだなと改めて気づかされました。

福本伸行『アカギ』第8巻(1998)

最後の勝負も、坊や哲の成長物語と考えるなら、ストップモーションで撮られたツバメ返しを決めて、師匠であった出目徳から人和を討ち取るシーンこそがクライマックスとなったはずです。しかし、この大技も、勝負の中の一コマとして流されてしまうんですね。

というわけで、原作に思い入れはあるものの、1本の映画としては物足りないという感想になりました。

ストーリー評価:☆☆☆

雀鬼様はどれくらい貢献したのか?

映画『麻雀放浪記』は、雀鬼・桜井章一が麻雀指導をしていることで有名です。ただ、クレジットの「麻雀指導」には、阿佐田哲也が紹介したという桑原靖太が一番上に載っており、雀鬼はその次で、連盟の荒正義プロが最後でした。和田誠監督の『新人監督日記』(1985)を読んだ感じでは、桑原・荒が麻雀の通常の所作を担当し、雀鬼がイカサマを担当したようでした。
『新人監督日記』によれば、雀鬼が実際に立ち会ったのは、ママ(加賀まりこ)が元禄積みをするシーンくらいのようです。しかし、前述のツバメ返しは、主演の真田広之がうまくできなかったときは雀鬼の(手だけの)代役が予定されていたそうで、いわばジョーカー的存在だったわけです。また、俳優・スタッフが、雀鬼がイカサマ技を披露したビデオテープを繰り返し見て、技を練習したり撮り方の研究をしたという話は何度も出てきました。そうなると、雀鬼はその場にはいなくても死せる孔明なみの活躍を見せたわけで、このビデオテープなしに映画『麻雀放浪記』は存在しなかったと言っていいでしょう。これが「本物」なんだよなあ。

柳史一郎/神田たけ志『ショーイチ』第6巻(1992)

この作品が作られたのは、麻雀を題材とした映像作品の黎明期に当たります。そのため、その後に作られたVシネマや対局番組を見慣れていると、画面の暗さもあって、どうしても洗練されていないように見えてしまいます。ただ、俳優の熱演もあり、特に、打ち手の背後から手牌を映しながら、ぐるりと回り込んで撮られた最後の勝負のシーンは雰囲気が出ていていいなと思いました。

闘牌評価:☆☆☆☆

1-2. 映画『麻雀放浪記2020』(2019)

『麻雀放浪記』の一作目が出版されたのは1969年なので、50周年記念企画ということになるんでしょうか。この『麻雀放浪記2020』は、坊や哲が戦後から現代にタイムスリップする映画になります。タイトルに「2020」とついているのは、東京五輪が重要なイベントとして出てくるからですが、その五輪もコロナ禍で延期となり、いろいろと当てが外れた映画となりました。

「終わりだ……」からの

九蓮宝燈をアガった衝撃で、坊や哲が戦後からタイムスリップしたのは、第三次世界大戦に敗北し、二度目の戦後を迎えた2020年の日本だった。敗戦のショックで東京五輪が中止となったため、政治家たちはそれに代わるイベントとして麻雀五輪の開催を決定する。圧倒的な強さを誇る麻雀AIの対戦相手に選ばれた3人の中には、短期間でネット麻雀の強豪に登りつめた坊や哲の姿もあった――。

この映画は、憲法改正反対を訴えるデモ隊を警官たちが暴力で排除したり、国民がチップを埋め込まれてマイナンバーで厳しく管理されていたりと、ジャンル的にはディストピア物になっています。『麻雀放浪記』を現代に合わせてアップデートしたというよりは、オリンピック目前の世相を風刺するために『麻雀放浪記』を使ったという感じがしました。アマプラでやっていた『仮面ライダーBLACK SUN』(2022)といい、白石和彌監督はしばらくはこういう方向性で行くのかな🤔
Mリーガーをはじめとして多数のプロ雀士が出演していますが、「中身のないヤツが数を誇る」という言葉を思い出してしまいました。昭和からやってきた坊や哲を通してコンプラ重視の現代を皮肉るという、最近のドラマ『不適切にもほどがある!』と通じる面もありましたが、中途半端に原作のキャラやセリフを引用していることもあり、あまり面白くはありませんでした。

唯一面白かったのが、麻雀五輪でベッキー演じるAIが圧倒的な強さを見せる中、テロ攻撃によって全自動卓が故障し、唐突な「プロジェクトX」感をただよわせながら、絶望した五輪スタッフらが「終わりだ……」と肩を落とすシーンでした。

久保帯人『BLEACH』第74巻(2016)

ふがいないことに、Mリーグにも麻雀卓を提供している大洋技研はここで予備卓を用意できなかったので、手積み卓に変更せざるをえず、勝負は誰もが予想するとおりイカサマバトルになります。「二の二の天和」って一人天和のことじゃないんだけど、とツッコむのも野暮なバトルの果てに、再び九蓮宝燈をアガった坊や哲が戦後に舞い戻ったところで映画は終わります。
全体的にはつまらないとはいえ、この「終わりだ……」からのイカサマバトルの流れは、さすがに評価しないわけにはいかないので、大甘に見て星2つという評価になりました。

ストーリー評価:☆☆

いつの時代でも最新のものが最高だとは限らない…

『麻雀放浪記2020』の麻雀シーンはどうかというと

「プロデューサーから声をかけられたときは、何を考えているのかと思った。原作は傑作だし、映画も傑作。やる理由もないし、断ろうと思いました。でも(主人公が)近未来にタイムスリップにしたらどうかというアイデアをもらって。最初は馬鹿にしていたけど、考えてみると、ブラックコメディーだし、世の中がきな臭い方向に向かっている時期だったからこそ、そういうことをコメディーの中にちりばめるのはいいかなと思うようになりました」と、白石監督は引き受けた経緯をそう振り返った。

「「麻雀放浪記2020」が映画界に投じた2つの問い」(2019/04/05)

と監督が語っているように、元々この作品には麻雀方面への情熱はそんなにないんですよね。
そのため、イカサマなしの通常の闘牌では、強さの表現が「面前で高い手をアガること」しかありません。相手の捨て牌を読んだりとか駆け引きもなく単調でした。

この作品が撮影されたのは2017年か2018年なんですが、坊や哲が当時のRTDリーグに出場し、並いるプロ雀士たちに圧勝するというシーンが出てきます。つまり、現代の若者がタイムスリップして昭和の雀士たちに圧勝する『幻刻ときの門 新撰組70's』(2008)の逆ですね。

菊池昭夫『幻刻の門 新撰組70's』第1巻(2008)

しかし、『幻刻の門』とは違って、この映画では連盟プロ相手にただ高い手をアガるだけなので、坊や哲の強さに説得力がありませんでした。一応、解説のバビィが「昭和雀士ならではの手筋で、現代雀士の読みを外している」みたいなことを言っていましたが、それは闘牌で表現してくれよと。
イカサマバトルになっても、イカサマ技の攻防などはなく、闘牌的にはさほど見どころはありませんでした。ですが、役満がいっぱい出てきて楽しいということで、ご祝儀評価としました。

闘牌評価:☆☆☆

2. 映画『病葉流れて』(2008)

映画『病葉流れて』は、1本の映画として公開されましたが、DVDでは第一章・第二章の2本に分けられています。大学に入ってバクチと女に溺れていく主人公を、有名プロ雀士・村上淳と同名の、俳優の村上淳が演じています(世間的には、後者の方がはるかに有名でしょうが)。

【第一章】 バクチ描写なしにバクチ論を語る滑稽さ

この映画では、大学生の主人公とその先輩を30代と40代の俳優が演じているので、最初から違和感がすごかったです。終始ローテンションでテンポが悪く間延びしており、舞台となる1960年代はかくも時間がゆっくり流れていたのかと錯覚するほどでした。
麻雀を打つシーンは何度もありますが、ぎこちなく牌をカチャカチャやるだけで、手牌を開くシーンは一度もありませんでした。つまり、ただの真似事なんですね。そのため、先輩やヒロインがバクチ論を語っても、まったく心に響きませんでした。
こうなるともう、起死回生の一手は、ヒロインをつとめる吉野紗香がおっぱいを出すしかないのではないか。そう思い始めた矢先に濡れ場のシーンになったのですが、半荘が終わるくらいゆっくり服を脱いでいくので、ふくらんだ期待感がすっかりしぼんでしまいました。ただ、演技はひどかったけど、このシーンだけは吉野紗香はがんばっていたと思います。

ストーリーも闘牌も最低でしたが、それによって、この記事における評価の基準が定まったというのはあります。観た後で、他の映画の評価が自動的に星ひとつ上がるという、麻雀映画における範馬勇次郎や五条悟みたいな存在でした。
それにしても、コワモテに見える白川道でも、原作とはかけ離れたこんな脚本を突き返すことはできなかったのかと、最近話題の原作者問題に思いを馳せてしまいました。

ストーリー評価:☆
闘牌評価:☆

【第二章】 1960年代の「時代の空気」 

原作小説後半では、第二のヒロイン・姫子(坂井真紀)を取り合うライバルであるレフティとの麻雀勝負がストーリーの軸となります。
そこで、さすがに第二章ではまともな麻雀描写が入るだろうと思っていたのですが、レフティが雑にアガり倒すだけで、やっぱり主人公は牌をカチャカチャやるだけでした。こうして、麻雀にボロ負けして女も取られた主人公がむせび泣くシーンで映画は終わります(ちなみに、原作ではレフティのイカサマが発覚し、主人公が勝利します)。

映画では、原作の1964年という時代設定を、学生運動の勢いが最高潮に達した1968年に変更しています。画面の色調をセピア色にし、原作にない姫子の貧しい生い立ちを描き、永田洋子を思わせる映画オリジナルの女性活動家を登場させ、激しさを増す学生運動をラジオやテレビで繰り返し報道することで、1960年代の「時代の空気」を色濃く描こうとしているんですね。そして、ラストでは、アメリカン・ニューシネマ的というか、学生運動の挫折と主人公の敗北を重ね合わせているわけです。
1本の映画として成立させるために、原作を改変するのは全然アリだと思いますが、じゃあ、これが面白かったかと言えば、別に面白くはありませんでした。坂井真紀は濡れ場をもっとちゃんとやれ😡

ストーリー評価:☆
闘牌評価:☆

3-1. ドラマ『いねむり先生』(2013)

伊集院静作『いねむり先生』(2011)を原作としたテレビドラマは、短期間に2本制作されています。2013年9月にテレビ朝日で放送されたのが『いねむり先生』で、2014年3月にNHKで放送されたのが『拝啓 色川先生』です。
スケジュール的に後追い企画というわけでもなく、いずれも有名作家である伊集院静と阿佐田哲也の交流という題材がドラマ向きだったんでしょうね。

漂白された物語

『いねむり先生』は、有名女優だった妻・夏目雅子を亡くして自暴自棄になっていたサブロー(伊集院静)が、阿佐田哲也との交流を通して癒されていく話です。
原作小説では、夏目雅子については匂わされる程度で描写は少ないのですが、能條純一作画のマンガ版では、回想や守護霊としてバンバン登場します。これは、原作よりラブストーリーに寄せたかったり、おっさんしか出てこない画面に彩りを与えたいという意図からでしょう。

大空で微笑む守護霊・夏目雅子

それではドラマはどうかというと、やはり波瑠演じる夏目雅子の出番はけっこうあり、マンガと同様にラブストーリー色が強くなっていました。

マンガ版では、原作にあった阿佐田哲也のドラッグ描写などは省かれ、ある程度漂白されていました。そして、ドラマ版ではさらに漂白が進み、原作に出てきた感じの悪い編集者やチンピラなどはすべて消し去られ、いい人しか出てこないという驚きの白さを見せています。
知り合いのチンピラに誘われて怪しげな賭場にフラフラついて行くような、ある種のいかがわしさも阿佐田哲也の魅力のひとつであり、伊集院静の苦悩を理解できたのは、阿佐田自身も幻覚に悩まされていたからだと思いますが、いずれもドラマには出てきませんでした。後者に関しては、阿佐田の見ていた幻覚は「機関車に追いかけられる」というものなので、予算の問題なのかもしれません。
すべての登場人物を陰影を持たない「いい人」にしてしまうことで失われたものは大きいと感じましたが、それによって井上陽水の「眠りにさそわれ」が流れるエンディングが後味よくさわやかなものになったことは否めません。多くの視聴者を対象とするテレビドラマってこういうもんだよなという気もしました。

ストーリー評価:☆☆☆☆

1986年の赤ウーピン

『いねむり先生』は、麻雀小説の大家・阿佐田哲也としてよりも、純文学作家・色川武大としての側面を強調している作品なので、麻雀シーンはあまり出てきません。
このドラマの麻雀シーンは3箇所あり、(1)冒頭のフリー雀荘、(2)阿佐田邸での阿佐田・黒鉄ヒロシ・井上陽水との麻雀、(3)旅打ち先の松山の旅館での女将との麻雀になります。このうち、(1)には萩原聖人が、(3)には小島武夫が登場します。前述のとおり、この作品では麻雀はそれほど重要ではないので、小島武夫監修の闘牌には取り立てて見どころはありませんでした。ただ、ハギーに天下の小島とくれば、盆と正月がいっぺんにきたようなものと好意的に評価することもできるでしょう。

ひとつ気になったのは、原作にはない(1)の1986年のフリー雀荘のシーンで、赤ウーピンが出てきたことでした。私の中では、赤牌が普及したのは1990年代というイメージがあったんですね。
とはいえ、赤牌の誕生は1964年であり、そこから徐々に普及していったわけで、1986年のフリーで採用されていても別におかしくはないわけですが。

 月刊近代麻雀に、まんトリ(まーじゃんトリビアの略)というコーナーがある。云うまでもなくいま流行の「トリビアの泉」にならった企画で、毎回、福地ハカセが麻雀の雑知識を解明してゆくというコーナー。
 その今月号(H16.9月号VOL472)で、赤五筒の起源が解明されていた。それによると、初めて赤五筒を製造したのは、大阪のミズノ丸一という会社とのこと。1964(s39)年、東京オリンピックを機に製造したものだという。

浅見了・麻雀祭都「ドラ05・赤牌」
片山まさゆき『オーラ打ち!言霊マンボ』第1巻(2006)

この『言霊マンボ』の巻末年表の印象が強かったのかもしれません。
何やかんやで、闘牌評価は普通ですね。

闘牌評価:☆☆

3-2. ドラマ『拝啓 色川先生』(2014)

NHK制作の『拝啓 色川先生』は、残念ながらDVDも配信もないので、視聴することができませんでした。というわけで、ネットに残っているレビューなどを元に書いていきます。

村上淳 麻雀作品主演の法則

このドラマも、映画『病葉流れて』と同じく、主演は村上淳でした。「村上淳 麻雀作品主演の法則」とかあるのだろうか。名前だけでキャスティングしてないか?

原作小説およびドラマ『いねむり先生』では、主人公は「サブロー」であり、フィクション仕立てになっていました。しかし、この『拝啓 色川先生』は、伊集院静本人も登場するなど、よりドキュメンタリーに近い作風だったようです。原作には、妻を亡くした絶望からの再生だけでなく、色川武大とその作品にふれることで、伊集院静が一度はあきらめた創作に再び心惹かれる様子も描かれていました。ドラマ『いねむり先生』は前者が中心でしたが、『拝啓 色川先生』では後者もいくらか描かれていたようなので、それぞれが補完的な役割を果たしているのかなと思いました。
また、夏目雅子についても、ドラマ内で言及はされても女優が演じたりはしていないということなので、原作に近いバランスですね。そうなると、夏目雅子の存在感的にはこんな感じになります。

マンガ版 > ドラマ『いねむり先生』 >>> 原作小説 >= ドラマ『拝啓 色川先生』

テレ朝の方は2時間枠でしたが、こちらは1時間枠で競輪観戦に創作論に本人インタビューまでこなさなくてはならないので、麻雀描写は相当少なかったはずです。まーた村上淳は牌をカチャカチャやるだけなのか。再放送してくれ。

ストーリー評価:?
闘牌評価:?

4. 各作品を鑑賞して

いろいろと文句を書いてきたわけですが、2時間しかない映画で、最初から「麻雀で勝負だ!」とはならずにちゃんとストーリーを進行させ、4人の登場人物のキャラを立たせ、本格闘牌も描けというのはないものねだりだったと反省しています😓

各作品の評価をまとめると以下になります。『麻雀放浪記』と『いねむり先生』は、ヒマなら観てもいいんじゃないかな。

1-1. 映画『麻雀放浪記』(1984)
   ストーリー評価:☆☆☆ 闘牌評価:☆☆☆☆

1-2. 映画『麻雀放浪記2020』(2019)
   ストーリー評価:☆☆ 闘牌評価:☆☆☆

2.  映画『病葉流れて』(2008)
   ストーリー評価:☆ 闘牌評価:☆

3-1. ドラマ『いねむり先生』(2013)
   ストーリー評価:☆☆☆☆ 闘牌評価:☆☆

3-2. ドラマ『拝啓 色川先生』(2014)
   ストーリー評価:? 闘牌評価:?

5. 麻雀映画のポテンシャル

最後に、『麻雀放浪記』(1984)の収入を元に、麻雀映画のポテンシャルについて考えてみます。

映画『麻雀放浪記』(1984)の配給収入

1984年の配給収入上位作品

現在はハリウッドで活躍している真田広之が主演した『麻雀放浪記』が公開された1984年は、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』が収入のトップだった年です。当時は、現在のような興行収入(観客が払った入場料の合計)ベースではなく、配給収入(興行収入 ー 映画館の取り分)ベースでした(つまり、現在の計算方法なら収入はより多くなります)。
『魔宮の伝説』の配給収入が32億円だったのに対して、『麻雀放浪記』(『いつか誰かが殺される』と同時上映)の配給収入は5.1億円であり、年間ランキングでは30位前後でした。なお、前年の1983年に公開された、同じく真田広之主演の『里見八犬伝』の配給収入は23.2億円でした。『麻雀放浪記』は、日本アカデミー賞の優秀作品賞等に選ばれてはいますが、評価のわりに収入はそれほど多くなかったことになります。
また、観客動員数を大雑把に計算すると、1983年の邦画トップだった『南極物語』が配給収入59億円で880万人動員なので、その約1/10の収入だった『麻雀放浪記』の観客動員数は76万人ということになります。

1984年当時の麻雀人口

当時の麻雀人口はどうだったかというと、『レジャー白書』における麻雀人口のピークは1982年の2140万人であり、その2年後となる1984年の麻雀人口は1770万人でした。1984年の日本の総人口は1億2千万人でしたが、『レジャー白書』の調査対象は15歳以上(9373万人)だったので、5人に1人が麻雀を打っていたことになります。麻雀人口のうち、女性が占める比率は13.2%でした。
なお、最新のデータである2022年の麻雀人口は500万人です。日本の総人口は1億2500万人ですが、現在の『レジャー白書』の調査対象は15〜79歳(9538万人)なので、19人に1人が麻雀を打っていることになります。女性比率はかなり増え、25.1%になっています。

1984年は麻雀がまだまだ人気だった時代であり、原作小説は、1969年の刊行から十数年を経てなお根強い人気を保っていました。にもかかわらず、『麻雀放浪記』の配給収入がそれほど振るわなかったことを考えると、これが麻雀映画というか、成人男性中心のレジャーに強くフォーカスした作品の限界かなという気がします。また、ギャンブル色が強かった当時の麻雀のイメージの悪さというのもあるでしょうね。
はるか後年の『病葉流れて』『麻雀放浪記2020』の興行収入については、小規模公開だったこともあり、数字が出ていないのでわかりません。まあ、客は入ってないよね😭

近年の将棋映画ブーム

2010年代後半から2020年にかけては、将棋映画ブームがありました。しかし、この中からヒット作は生まれておらず、最も興行収入が多かった『3月のライオン』でさえ年間ランキングでは60位にも入っていません(前後編合わせて14億円と考えるなら44位)。なお、2022年の将棋人口は460万人であり、女性比率は20.8%になります。

というわけで、麻雀映画のポテンシャルは低いけど、たまには作ってほしい🥺と願いを込めて、この記事を終わります。

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