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唄に生まれ変わりシマに還った男

2024年後半から撮影が始まった
『語り・ワイド節誕生物語』
この映像作品の<テーマ>は
唄に生まれ変わりシマに還った男。

1992年
初めてライヴで観た
ワイド節は
ただただカッコよかった。
身体中に電流が駆け巡り
自然と高揚していった。
そして歌いたくなった。
14歳のとき初めて聴いた
ビートルズと全く同じ感覚だった。

語りの冒頭に出てくる
徳之島出身の男性は
ハンセン病を患っていた。
1978年当時ハンセン病の患者さんは
隔離され療養所の中で
ずっと暮らさなければ
ならなかった。

その男性が国立療養所・奄美和光園の
レントゲン技師で奄美新民謡の歌詞を
手がけていた中村民郎さんに
「我(わん)が大好きな徳之島の
闘牛の唄を書いてほしい」と
頼んだことがきっかけとなり
歌詞が出来上がり
奄美シマ唄の坪山豊さんが
曲をつけワイド節は誕生した。

今や徳之島で
ワイド節を知らない人を
見つける方が難しいくらい
島中に浸透し、
奄美大島をはじめ近隣の
島々でも唄会や宴会などでは
なくてはならない唄となった。
みんなで歌い踊り、囃子や指笛で
盛り上がれる代表曲ワイド節。

この唄が作られて50年近く。

私がワイド節を歌うように
なって30年近く。
この唄を歌いながら
私もたくさんの
元気をいただいてきた。
ライヴの定番曲の1つだ。

元はと言えばこの唄は、
どれだけ心の底から願っても
故郷に帰ることができない
たった一人の徳之島の男性を
元気づけるために書かれた。
たった一人のために書かれたからこそ
想いがとても強く、たくさんの人たちを
何度でも元気づけ鼓舞させる。

そこにぐっとくる。

昨年9月のロケハンから
「徳之島ナビゲーター」丸野清さんに
ほんとうにお世話になりっぱなし。

徳之島のありとあらゆる人たちと
丸野さんのおかげで繋いでいただいている。
感謝しかない。

10月の全島一闘牛大会に始まり
11月の徳之島ロケでは
艶のある美声を持つ徳之島天城町の
素晴らしい唄者・中島清彦先生と
初共演を果たせた。

12月に入り
ホーンセクション入りバンドスタイルでの
ワイド節レコーディング。
久しぶりの集結に震えた。

ロケ現場をはじめ、いつでも
その場の雰囲気を和ませ
素晴らしいサポートをしてくれる
RIEほんとうにありがとう。

常日頃、奄美関連アーティストを
応援されている一般社団法人「奄美 唄ノ島 」
代表理事の福田郁雄さんに
『語り・ワイド節誕生物語』が
最高の作品に仕上がるように
強力なサポートをしていただいています。
ほんとうにありがとうございます。

新年明けてすぐ「語り」部分の
撮影が進み、次の撮影は
2/24奄美大島ASIVI。
ハシケン・デビュー30周年記念&
誕生日ライブ『4人のハシケントリオ
+ホーンと森拓斗&根心屋band』
スペシャル2マン!
「ワイド節」の演奏シーンを中心に
撮影予定。ぜひこのスペシャルなライヴに
ご来場いただき熱い掛け声、指笛、踊りで参加
して映像を盛り上げていただきたいです!

色々な縁がつながり今回初めて
タッグを組む監督・撮影の
中山創さんが手がけた沖永良部島の
唄・人・風景の美しい映像。

「語り・ワイド節誕生物語」は
この素晴らしい2作品に匹敵し
新たな扉をも開けることになる
最高な作品へと創さんが紡いでいくと
信じています。
私も演者として相方として
完成し、みなさんに初披露できるまで
一緒に楽しみながら登って行きます。
引き続きよろしくお願いします!

完成をどうぞお楽しみに。

ハシケン

今月のライヴ(1/19大阪、1/24東京、
1/25秩父)でハシケンver「ワイド節」の
掛け声「ササッ」をご来場いただいた
皆さんと一緒に録音します。
この掛け声をホーンセクション入り
バンドスタイルのワイド節に重ねて、
よりパワフルでみなさんの想いを
乗せた曲に仕上げていきます。
ぜひチカラを貸してください。

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ハシケン/ Hasiken
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