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【日々の出来事】感傷的な誕生日祝い

少し前の事だけど、昨年旅立った母の誕生日をお祝いした。
昨年のこの時期はドタバタの状況で、満足に誕生日をお祝いする事も出来ず(お祝いする状況にも無く)に終わった。

毎年のように母に向かって
「誕生日おめでとう」
と言ってお祝いをした訳ではない。

母の誕生日をちゃんとした形で祝った事はあれど、それでも回数は少ない。
思えば…
「誕生日だね」
という言葉すら言わなかった年もあったと思う。

でも昨年は母にとって最後の誕生日になる事は分かっていた。
だからこそ、ちゃんとしたお祝いを出来なかった事を悔やんでいる。

今年で74回目になる。
昨年は母自身が73の年を重ねた実感は無かっただろう。

小さいケーキを購入して祭壇に捧げ、ささやかながらのお祝いをした。
母はイチゴのショートケーキなど滅多に食べる事はなかっただろうが、僅かでも美味しさを感じて食べて貰えただろうか?

昨年のこの時期は味覚が変になり、何を食しても美味しくないと言った。
流石に今はもう味覚がどうのこうのと言う事はないだろう。
もうあの苦しみからは解放されていると信じたい。

思えば昨年の今頃の私と母は戦場にいたような感覚だった。
母は襲い掛かる身体の痛み、嘔気を必死になって耐えていた。
昨年のあの様々な出来事は、まるで昨日の事のように思い出す。

この先、毎年のようにこの寒い冬が来るとあの状況を思い出すのだろう。


小っちゃいケーキだけど…

こんなケーキを見て母は何と言うだろうか?

「美味しかったよ」と言っただろうか?
「和菓子の方が良い」と言っただろうか?
「ローソクの数が足りん!(笑)」とツッコんで来ただろうか?

生前の母は何事も喜んで見せる人だった。
人が何かを母自身の為にすると些細な事でも喜んでみせてくれた。
相手が家族でも他人でも同じように。

昨年出来なかった母の誕生日祝い。
今更だけど、ささやかな誕生日祝いを喜んでくれていると信じたい。

ケーキは祭壇に捧げた後、私が美味しく頂いた。
ケーキを購入する際、1つじゃ寂しいからと思って2つ買った。
だから結局2つとも私が食べることに(翌日に食べました)。

イチゴのショートケーキを食べるなんて何年ぶりだろうか…。
様々な思いが交錯しながらこのケーキを頂く。

母の事を想うと感傷的になったが、ケーキの甘さの方が勝った。

また来年も誕生日のお祝いをしましょう。

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