見出し画像

母の見送りへの道 【気付きと感じた事⑩】(緩和ケア科)第33回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。今回は母がお世話になった最後の場所、緩和ケア科での話をしてみたいと思います。



【緩和ケア科のイメージ】


我が母が最期を迎えた場所はS病院の緩和ケア科病棟。母は最後の約1か月をこの緩和ケア科で過ごしている。

まあ私自身は入院した経験が無いし、家族の入院というのもあまり無い家庭ではあった。母が10年前に大腸がん手術をした折に3週間ほど、このS病院に入院する4か月ほど前に母のガンの発見、転移が見つかった病院で2週間の入院があったが、つきっきりで側にいた訳ではない。なので病院の内部というか状況をよく見えたのはこの時が初めてだった。

正直なところ緩和ケア科とその他の病棟で対応が替わるのかどうかすら分かっていない。ただ私の勝手なイメージとしては看護師さんの対応は緩和ケア科だから特別どうこう…という感じは無く、一般病棟でも殆ど同じような対応をとられるのだろうというのが私の勝手な想像。

ただ緩和ケア科の目的というのはある程度はっきりとしているはず。相手(患者)の目的が治療なのかはたまた最期に向かっているのか…で対応は多少なりとも変わるのだろうと思う。

【入院初日で塩対応…緩和ケアって何だよ?】

入院初日の夜に母は結構な塩対応を受けたようで、翌日にその様子をつぶさに聞いた。正直に言えば、入院時の面接であれだけ詳しく母の状況を説明したのに、殆ど理解されていないのには驚いた。目眩や嘔気の症状を理解していないのはまだ良いとして、介助なくして車椅子の移乗も難しいという事実を知らない様子らしかった。

まあこの様子を聞いてかなりカチンと来た。しかも初日からその対応では先が思いやられるし、その時はこのS病院の緩和ケア科は完全にハズレだと思った。即座に違う病院へ移る事も選択肢として考えられた。

ただ詳しく聞けば初日の夜勤担当者が相当な塩対応だったらしい。翌朝の昼勤の担当者になってからはそんな事はなかったらしいが、まあ初日の夜勤への引き継ぎは真面に出来ていないなというのが丸分かりだった。

【強制的に置き土産を受け取らせ、更にお願いをする技を使用】

母の話を聞く限りでは夜勤の担当者のみがダメっぽい…という判断をした私は、翌日に置き土産と手紙を部屋において出ることにした。置き土産は所謂心づけだが、これは病院内では受け取れないというルールで病院内のいろんな所に張り紙がしてあるほど。なのでストレートには受け取ってくれないだろう…という事で、母の病室を退出する直前(16:00過ぎ)に椅子の上で目立つようにして置いて出た。夜勤担当者に渡るように…と。

置き土産はチョコレート(意外といい値段のする品物だよ)。時期的には2月なので直ぐに溶ける事は無いだろうが、万一夜勤担当者が母の病室に来るのが遅くなった場合に備えて、保冷剤をたんまりとチョコレートの箱の上に置いてきた。チョコレートなら早く食べないとダメになるし、これなら突き返されないだろうと(笑)

同時に母の状況についての説明と母への対応についてのお願いのお手紙も置いてきた。初日の対応について文句の一つや二つ書きたいところだが、実際に対応を受けるのは私が居ない時の母である。変に害が及ぶ可能性もあると見たし、まだ母が入院してからの日が浅くて知らないだけかもしれない…というかなり甘々の見立てと譲歩したつもり。文章もかなり丁寧にしてへりくだる程の文章にしておいた。

まあこの置き土産とへりくだりの手紙だけで母への対応が変わるとしたら安いもんでしょう。やるべきことはやったと思えるし、これでダメなら改めて他の病院の緩和ケア科への転院へと動けばいいやと思った。

【置き土産と手紙の効果覿面!?】


翌日はいつもより遅れて病院へ。先日までお世話になった訪問診療の先生の事務所、同じく訪問看護ステーションの事務所へ行ってお礼状と手土産を持って行ったので、いつもより少し遅れて病院に到着。病院に到着して緩和ケア科で面会手続きが終わるや否や昼勤担当の看護師さんと師長が飛んで来た。

内心「来たな」と思ってお話をすると、案の定昨日に置き土産と手紙についてお話があった。

師長と看護師さんは初っ端から平身低頭の姿勢で、まずは置き土産についてのお礼を言われ、さらに手紙の内容についても言及。母の症状については「昼勤、夜勤の看護師全員に周知させますので…」と私の想像以上の反応が返ってきた。

これについては私もルールを無視して置き土産(心づけ)をした事を謝罪したし、看護師全員に周知して…というお言葉にもありがたくお礼を申し上げた。まあここで応対してくれる師長さんと昼勤の看護師さんが悪い人でない事はすでに知っているし、あくまでも夜勤の看護師さんへ向けてのメッセージだから。

このいい人たちが平身低頭でお詫びしている姿に少し申し訳なく思ったが、あくまでも母の視点で考えると私の行動も少し理解はしてもらえたのではないか…?と勝手に思っている。これで母自身が嫌な思いをせずに過ごせてくれれば万々歳だろう。

この一件が効果あったのかどうかは分からない。ただ夜勤の看護師さんに対して母が不満を漏らす事はなくなった。置き土産に効果があったではなく、手紙の方が効果あったから…と思いたいね。

【緩和ケア科は本当に忙しそう】

最初にも書いたが、他の病院、他の病棟での様子はほとんど知らない。どの病院、どの病棟でもほとんど同じなのかもしれないが、S病院の緩和ケア科も本当に忙しそうだなと感じた。

母の病室は個室だがナースステーションがすぐそばにあって、ひっきりなしに呼び出し音が聞こえていた。まあナースステーションが無人…というケースは見ていて少ないと思うが、とにかく対応しなきゃいけない事が山ほどあるという印象は強い。

実際に母の部屋で私自身がナースコールを押したケース(点滴制御器のアラームが鳴っているとか、酔い止め、痛み止めを入れて欲しいなどの希望で)は何回かあるが、「今行きます~」という返答があってから実際に部屋に来るまで3~5分近くかかる事も普通にある。せっかちな人間ならナースコールを押してすぐに来ない事で怒る人もいそう。

【わがままな患者への対応が大変…私も見習わないと】

また母の病室の隣の部屋の人(結構な男性老人)が、まあ文句ばかり言うひとだった。まあその文句の声が大きいし、いつも部屋のドアを全開にしているもんだから看護師さんとのやり取りが全部聞こえてしまう状況。
んで何を言っているかと言えば…

「お前らは来るのが遅い」
「俺の相手をしない、話を聞かない」
「〇〇先生はアカン」
「〇〇看護師を呼べ」

まあ…典型的なヤな患者だろう(笑)
最後の「〇〇看護師を呼べ」と指定した看護師さんは母の昼勤担当も務めた事もある人で、人辺りも柔らかくて誰が見ても完全なる美人看護師である。あの美形だとお気に入りの看護師さんとなるのは分かるけどね…。

ただこんな患者さん相手でも穏便に丁寧に説明して対応する看護師さんの声が聞こえた。

「そんな事無いよ~」
「ちょっと来るの遅くなってごめんなさい~」
「話、ちゃんと聞いてますよ~」
「〇〇先生はちゃんとした先生よ~ 何か不満あるの~?」
「〇〇さん(ご指名の看護師さん)は今日お休みなのよ~」

よくこんな患者相手に優しく対応出来るな…と思って聞いていた(笑)
自分の職場でこんな老人の患者みたいな奴がいたら(あくまでも同僚か部下に限るが)

「アホ、勝手に言うとけ」
「ちゃんと自分から正確に説明してから文句言え」
「人に向かってアカンって言う前に己がちゃんとしろ」
「何お気に入りだけを側に呼ぼうとしとるんや」

とか私なら言いそうだ。
この丁寧な話し方と丁寧な接し方はホント見習わないとね…と思った。

【忙しいのは理解しているが、これはいくら何でも…】

看護師さんが忙しいのは分かる。ナースコールを押しても来るのに時間はかかるし、ナースステーションに行っても誰も捉まらない時もある。ただこれはアカンだろう…と思えることがあった。

それはナースコールのコードが根元から抜けていた事だ。

これ実は母の代わりにナースコールを押した時に気付いた事実。さっきも書いたけど母の病室はナースステーションに近いので、ナースコールが呼び出し音が鳴っている…というのは分かるんですよね。だけどこの時は母のナースコールを押しても、ナースステーションで呼び出し音が聞こえなかったのでアレ?ってなった。

するとよく見るとナースコールの線が根元から完全に抜けている事が判明。まあお風呂が合ったり、何らかの検査でベッドごと移動しているのは分かっている。それらの事から戻ってきた時に繋ぎ忘れたのだろうな…というのは容易に想像できた。

ただこのコードが抜けていたのはその後にもう1回あった。母の入院期間中にナースコールのコードが抜けていたという事実が2回もあった事になる

正直これはダメだろう。
これでは夜中に緊急事態があったと仮定して、母がナースコールを押しても対応できない事になる。呼んだのに来てもらえない、苦しいのに来てもらえない、助けてもらえない…。こういう事態になってもおかしくない出来事を発見してしまった。

1回目に抜けていた時は私が線を繋ぎ直して後でこそっと看護師さんに伝えたが、2回目は線を繋ぎ直したものの看護師さんにはもう何も言わなかった。もうこれは日常茶飯事にある事だと思ったし、変に事を荒立てたくはなかったから。ただ毎回母の病室を退出する際は必ずナースコールの線の根元を確認してから帰るようになった。

病院内での不測の事態、事故…というのはこういう例が意外とあるのかもしれないですね。

【最期へと向かう道のりの中での気遣いに感謝】

母の反応も薄くなってきていよいよ…という段階になり、私自身が病室に泊まり(付き添い)という事になった時にも色々気遣ってくれた。看護師さんとしては今までの経験で分かるのだろうが「もうそろそろ…」(旅立つ3時間くらい前に)という事を教えてくれた。

母の最期を迎えた時も心電図はナースステーションでモニターしていると言っていたので、母がもうすぐ最期を迎える状況だというのは分かっていたと思う。母がもう最期を迎える…というのは傍で見ている私ですら分かったが、医師や看護師さんは病室に来ることは無かった。あの時は内心なぜ医師や看護師さんが見に来ないのだろう…と思っていたが、おそらく最後は母と私の二人きりにしてくれたのだと思う。

実際呼吸が完全に止まった後に、看護師さんがそっと病室に来てくれた。全部分かっていたのだとは思う。

その後、母と病室を出て葬儀場へ…という間も看護師の皆様には色々と気遣って頂いた。母が旅立った直後なのに何気ない世間話をして気を紛らわしてくれたり、母の生前の病室での様子を懐かしんでくれたり…。まあ色々と気を遣わしているなというのをヒシヒシと感じたし、これらの事にとても感謝している。


【約1か月間だけ緩和ケア科とのお付き合い】


母と私が緩和ケア科にお世話になったのは約1か月間(33日間)のみ。これが短いのか長いのかは自分では判断しにくいが、一般的な尺度で言うと恐らく短い期間になるのだろう。

その入院期間中の当初にアレ?と思う事はあったが、その後に入院生活で特に不便や違和感を感じたことは無かった(ナースコール件は除くが…)。また家での生活比べて一時的にではあるが母が元気になった時すらあった。母にとっては入院している事での安心感や気分的なもの、そして痛みを取る事が出来たのが大きな要因だと思う。

まあその元気もごく一時的であり、すぐに嘔気や身体の痛みが勝るようになったのだが、それでも家に居て痛みに耐え続ける事を思えば緩和ケア科でお世話になったのは正解だろう。訪問診療も決して悪くは無かったが、何かあった際の対応力という面ではやはり病院の方が絶対に良いと思える。

また私自身にしても家で24時間母の側に付きっ切りの生活よりも、緩和ケア科に殆どをお任せして自身は午後の4時間(13~17時)だけの対応(しかもただのお見舞い)なので随分と楽になったのも事実。自宅から病院までが少し遠かったものの、1か月の間で毎日無事に通えたのも良かった。

これが入院生活はもっと長くなっていればどうなったかは分からない。私的には正直あと2~3か月は持つと見ていたしその準備や心づもりでいたので、長引いても大丈夫だったような気はする。ただ他の方々の経験談などを聞いたり見たりしていると、そうそう甘いもんじゃないような気もする。こればっかりは実際に経験しないと分からないものだとは思う。

【次に緩和ケア科にお世話になるとしたら…】


ただ私自身が母の立場になったとしたら、当然私も緩和ケア科にお世話になりたいとは思った。何よりも痛みを取ってもらえるのが一番だと思うし、緩和ケア科というものは意外と私の想像以上に対応してくれるなと感じている。

母の家系はどうみても癌の血統。私もその血を引き継いでおり、多分同じ系統に入るであろう。そうなると何年後かに緩和ケア科にお世話になる機会があるとしたらそれは私自身が入院する時なのだろう。

私が緩和ケア科にお世話になるとしたら…。
その時、医療の現場はどうなっているのだろう?
深刻な人手不足と高齢化社会…。
その中で私自身が緩和ケア科にお世話になることが出来るのだろうか…。




【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?