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母の見送りへの道 【気付きと感じた事④】(ケアマネージャー)第27回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。

今回はケアマネージャーについて話してみたいと思います。




【いきなりケアマネージャーを選ぶ話だが…】


母と私の場合は少し特殊なのか、ケアマネの人選という意味ではほぼ選択肢はありませんでした。理由は過去の記事にもあるのですが、1月に母の容態が急激に悪化した時にまだケアマネージャーが決まっていなかったからである。

訪問診療の先生も母がここまで急激に悪くなるとは思っていなかったらしく(私も思ってなかったが)、ケアマネージャーの人選をまだ進めていなかったのですね。でも急激に悪化した際(1/22の一件、母の旅立ち、私の見送りへの道 1月編③を参照)、母の部屋を急遽病室に改造する話を進める際にケアマネージャーが必要となり、急遽決まったという経緯があります。

ただこの時は今から病室を改造しなくてはならない…という急ぎの事情もあったし、訪問医療の先生(I先生)としては今までにケアマネを決めていなかったという事情もあってか、I先生自らケアマネ探しをしてくれました。

先生は私の目の前でクリニックの事務所、またケアマネの業者と電話でやりとりをしていました。そしてその際に先生は「優秀な人がいい、こっちから指名してもいい?」と聞かれていて、「〇〇君がいい」とある人物を指名した。結局その人が母のケアマネージャーとなりました。

病室改造計画が迫っているので、I先生が電話した1時間後にはそのケアマネージャーさんは我が家に来てくれて、そのままI先生と相談しつつ必要な介護用品の選定と手配をしてくれた。大至急という状況のなかでケアマネとの挨拶もそこそこに、本当に慌ただしく病室改造計画がスタートしたのを覚えている。さらにケアマネさんは介護用品の手配の為に一度は事務所に帰られたが、その3時間後に介護用品の搬入と設置の際には再び来てくれた。

【担当のケアマネージャーの第一印象】

母の担当になったケアマネージャーさんはYさんと言う方で、事業所の副所長を務めている方だった。腰が低く、当りも非常に柔らかい人だった。母の事を下の名前で〇〇さんと呼び、私の前で母の事を「お母様」と言った。丁寧な人だな…というのが第一印象。

実は今振り返ってもYさんとの出会いはドタバタの中でもあり、その時に詳しい説明も契約書等もどこで書いたかとか殆ど覚えていない。あの日(1/22)の午後は訪問診療の先生とスタッフの方々、看護ステーションからは新手の看護師さん(初対面)、介護用品の業者さん(搬入してくれる方々)など人の出入りが激しかった日。

でもすべてが終わって見ても何の不都合も無かったし、様々な事で間に入ってもらって非常に助かったという印象。



【細々とした配慮と相談に乗って頂いて感謝】


特に訪問入浴、介護タクシーの手配や細々とした点でお世話になった。前回の記事でも少し書いたが、我が家はマンション最上階でエレベータが途中までしかなくその後は階段があるという特殊環境の家。その事を「介護タクシーの業者に先に伝えてあるので心配しないでください」とYさんに言われた時には流石だなと思った。

私の中でも母を車いすに乗せたままマンションの階段を降りれるか?という微かな疑問を持っていたものの、あまりにもドタバタ続きでその事を真剣に考える余裕はなかった。そこを予めクリアにしておいてくれた事に少し感動したし、I先生が言う優秀な人というのが何となく分かったような気がした。

他にも塩対応を受け続けたH総合病院で、介護タクシーさんを予定以上に待たせるハメになった時にも相談に乗ってもらった。アドバイスを伺って何とか最良の形にはなったが、あの時は私だけの判断だったら、母は家に帰ってこれなかったかもしれない(母の旅立ち、私の見送りへの道 1月編⑦⑧ 1/27前後編を参照)。本当に助かったなという思いで一杯である。


【母の入院する日、わざわざ見送りに来てくれる】

母が入院する当日。介護タクシーに乗るためにマンション1階に降りるとケアマネのYさんも来てくれていた。最後に母に挨拶までしてくれて、いろいろと手を尽くし気配りをしてくれる人だな…と心底思えた。

母がS病院に入院してからはケアマネージャーとの関係性も一気に薄くなった。後に介護保険の認定が下りて、介護保険証書が届いた際に保険証の写真を撮りに自宅に来てくれた時に会ったのが最後。すべてが終わった後にレンタルの介護用品引取の際に間に入ってもらったのがこれは電話でのやり取りのみだった。

私としては少し失礼な事をしたなと思うのは、訪問診療の先生、訪問看護師の皆さんのところには後に手紙とお礼の品を持って挨拶に伺ったが、ケアマネのYさんの元には挨拶に行けないままに終わった。まあレンタルの介護用品の引取のお願いをした際に母が旅立った事を伝えたので、このまま関係が終わると思ってくれたとは思うが、散々お世話になっておきながらそのまま終了としてしまった事を私としては反省している。

【自分で選んだケアマネでは無かったが…】

まあ母と私の場合は大至急ケアマネを必要とした事、I先生がまだケアマネを選定していなかったという引け目(?)からか、優秀なケアマネジャーを指名してくれたと思う。ただ一般的にはケアマネジャーは自分で選ぶらしい。これは私もすべてが終わった後に知ったのだが、私個人でケアマネを探していたらここまで優秀な人が付いてくれたかどうかは疑問である。

母と私がケアマネージャーに接した期間は結構短い。介護用品に関してもいきなり要介護5という認定(これは後に分かるのだが)という事もあり、初っ端から最高の介護用品を入れてもらった。ケアプランにしても母が入院するまでの間…というのもあったから、不都合が生じる暇すらなかったと言える。

全てが終わって当時の事を振り返ると、やはり母と私の場合はケアマネに恵まれたなという思いは強い。短い期間の間でありながらケアマネージャーの対応に不満を感じたことは無いし、むしろよく気を回してもらえたなと思う事が一杯ある。また自分で選んだわけでないから、かなりツイていたと言える。

ケアマネのYさんとの付き合いは実質10日ほど。この短期間であれだけお世話になったのだから、もしも母の自宅での介護が長期間になっていたらもっとお世話になったのだろう?と思う。

【この場を借りてケアマネYさんにお礼を申し上げます】

結局Yさんには最後のご挨拶はしないまま。
なのでこの場を借りてお礼を申し上げたいと思う。

短い間でしたが本当にありがとうございました。
入院当日に介護タクシーに乗る時に最後のご挨拶をしに来てくれた後、母はYさんの事を「本当にお世話になったし、本当によくできた人」と言っておりました。

Yさんと母との間にはそこまで直接的な交流は無かったと思いますが、それでも僅かな期間であっても介護ベッド、訪問入浴、介護タクシー等で色々とお世話になった事を母は知っていたからでしょう。

また私としてもH総合病院で様々な事があり、狼狽えていた時に相談に乗って頂いた事を今でも感謝しております。

本当にいろいろとありがとうございました。
素人ながらにケアマネージャーなど医療関係の現場は大変だと思っております。どうかYさんや同僚の方々もお体もお労りください。

この度は本当にありがとうございました。


もう結構時が経ってしまったので、ご挨拶に行く機会を逸した為にこの場を借りて…などと言っているが、事務所も今の家からそんなに遠く離れている訳でもないし、今からでも直接ご挨拶に行けよって話なんだけどね(笑)

【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


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