橋本優香子/Yukako Hashimoto
私にとって今年最も印象的だった国コーカサスの「アルメニア共和国」。30代後半女一人旅だから見える景色もある。
旅先の市場は私にとって大体おもしろい。 その国の人々の生活や文化が垣間見れたり、現地の人との交流が生まれたりするからだ。 アルメニアに到着したその日にすぐ「この国好きそう」を予感をさせてくれたのは、そんなマーケットの人たちだった。 エレバン中心地からはやや離れた私の滞在エリアには、規模は大きくはないが市場的な感じで野菜やフルーツ、ハーブ、卵なんかを売るような店が並ぶ通りがあり、滞在中よくお世話になった。時にはペットボトル入りの手作りワイン(アルメニアはワインも有名)を、地方
エレバン滞在時に好きだったエレバンメトロ。 ソ連時代に開業されていて、現在もかつての空気が色濃く残る場所の一つだと思う。 支払いは現金のみで、おもちゃのコインのようなチケットを購入する。ジョージアやウズベキスタンの首都にもソ連時代につくられたメトロがあったけれど、アルメニアメトロが最もアップデートされず(いい意味)に留まっているように感じた。 駅によってはプラットホームはかなり深くに位置する。とても長く続くエスカレーターでは、ステップに座りながら降りていく人なんかもいた(
独特な形が美しいアルメニア文字。 その文字によって成るアルメニア語は、一言語一語派を形成する言語。どの言語群にも属さない独立した言語ということらしい。 アルメニア文字は、404〜406年にメスロプ・マシュトツ(Մեսրոպ Մաշտոց)という人物によってギリシア文字や古代シリア文字などを参考に創り出された。この功績によって彼は聖人といわれている。 言語はそれを使う人の一部をつくるように感じるけれど、アルメニア文字ができたことによって、この文字が人々のアルメニア人としての
アルメニアの首都エレバンは、世界最古の首都の一つでローマよりも古いそう。 ソビエト時代に集められたピンク色の石の建築物が集まるエレバンは、「ピンクシティ」や「ローズシティ」と呼ばれたりする。 中心には美術館などがあり、人々が穏やかに過ごす美しい街だ。 ただ、この上品な呼び名が似合うのはそうした中心地の一部で、少し歩けば同じエレバンでも(同じような暖色系の石材が使われていたとしても)、まったく異なる雰囲気を纏った建築物が多くある。 私はそのような場所によく惹きつけられた。
2024/4/17 アルメニアに入国した翌日、滞在先のレジデンスからやや離れたエレバンの中心地に行ってみた。 Victory Parkという公園を訪れると、数十名の人が集まり何かの撮影をしていた。撮り直しもしていて、舞台の練習のようなものかとしばらくその様子を眺めていた。 撮影が一旦止まったところで、一人の女性と話すことができた。 彼女に教えてもらい、それは「ナゴルノ・カラバフ」の文化を守る活動資金を募るPRビデオのための撮影だとわかった。 アルメニアは隣国アゼルバイジャ
Բարեւ Ձեզ(バーレフ・ジェス: こんにちは) 2024年4月16日。その前に滞在していたタイから、トランジットを含めて20時間ほどかけて到着したアルメニア共和国(現地語ではハヤスタン)。コロナ前から訪れてみたかった国だった。 アーティスト・イン・レジデンスという美術家向けのプログラムに参加するため、アルメニアの首都エレバンにあるICA Yerevanという施設に1ヶ月間滞在した。アルメニアだけでなくイタリアなど様々な出身の友人たちとの出会いもあり、自分にとってかけ
進んでいるのかいないのかよくわからないというのは恐怖ではあるけれど、完璧によくわかっている状態というのではたどり着けない場所もあるかもしれないし、それしかできないときにはそれをするしかないので、今日も方角のわからない方をいく。 よくわからんし、流れるままにが自分にはあっているように感じても、全部を流し切ってしまうわけにもいかず、できる方法で形を与えてやっていくしかない。「しかない」に縛られずに考えるという重要性をいつも見えるところに置いておきながら。 落ちてしまった茎を水
また新しい一年がはじまる。 毎年月日が過ぎるのは早いけれど、昨年は特に年末を感じる間もなく、気がつけばまた1が足された年になった。予報では微妙だった天気にも恵まれ、クリアな青が広がる清々しい空の日。 こうしていられることが本当に幸運であると、痛感せざるを得ないような昨年だった。戦争や気候変動、災害、政治腐敗。どうしたって気持ちが落ち込んでしまうことが多かった。そしてまだ終わりは見えない。 去年しんどかったことを一つやめた。本当に自分の心が動く生き方にシフトしていくために。