見出し画像

相撲の社会的ニーズ①

1.相撲とは

まずは、相撲がどうやって今まで社会に受容されてきたのか、について整理していきます。現代における『相撲』とは、以下のように定義づけられます。
・直径15尺(直径4.55m)の円を競技場として、まわしを締めた2人の競技者が対戦
・身体の一部が場外の地面に先についた方が負け
・足裏以外の身体の一部が競技場内の地面に先についた方が負け
・禁じ手(反則技)を用いた場合に負け

4項目で整理できるように、相撲は非常にシンプルな競技です。
強調しておきたいのが、これは「現代」の相撲の定義であることです。
相撲は日本社会において2,000年以上にわたって執り行われてきました。ですが、その時代毎に相撲の形式はかなり異なっています。

画像2

2.相撲の変遷(日本書紀と相撲の節のケース)

具体的な例をあげてみましょう。
相撲の始まりとされるのは、日本書紀に記されてている野見宿禰(のみのすくね)と大麻の蹴速(たいまのけはや)の取組です。
天皇の目前で行われたこの取組がどう進んだか?ざっくりまとめると以下のようになります。

 互いに蹴りあう
   ↓
 野見宿禰が大麻の蹴速の腰を踏み折り、蹴速が命を落とす。

いかがでしょうか?今の相撲と似ても似つきませんよね??これ相撲???と疑問を抱くこと必死ですが、この取組が相撲の起源とされています。

画像2

次に、平安時代の宮中行事であった相撲の節(すまいのせち)を紹介します。相撲の節とは、天皇や貴族の前で諸国の猛者たちが相撲を執り行う行事が催されていました。
この相撲の節で行われていた相撲とは、
 ・土俵はなく、対戦する2人の競技者がある程度距離をとって競技が開始
 ・両者が手を上げた状態で徐々に距離を詰めていき、両者が手を掴み合い→離れるを繰り返しながら相手の力量を推し量りながら技をかけるタイミングを探り合う。
 ・足の裏以外の部分が地面についたほうが負け

という、現代の相撲よりもプロレスに似た力比べの競技であったことが分かります。

スクリーンショット 2021-05-23 9.55.13

ここから時代が下るに連れ、貴族や武士を中心として相撲を開催する文化が形成され、相撲を生業として行う集団が誕生し、徐々に今の相撲の形がつくられていくことになります。

上記の事例を通して私が言いたいことは、
 ・相撲は長きに渡って日本で行われてきたが、時代毎に相撲の形式は様々
 ・時代毎に異なる相撲を、求める社会的ニーズが日本にあり、だからこそ相撲が存続し続けた

ということです。

3.相撲への社会的ニーズとは?


事例紹介が長くなってしまいましたが、私が考える相撲の社会的ニーズは以下の4点です。
①遊び、交流手段
②身体を鍛える鍛錬
③儀式
④エンターテイメント
です。

この4つのニーズについては次のnoteで書いていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?