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【百年ニュース】1921(大正10)9月5日(月) 川島芳子(14)が養父川島浪速に従い長野県松本市に移住。東京の跡見女学校から松本高等女学校(現蟻ヶ崎高校)2年生に転入。大戦中は男装の麗人,東洋のマタハリと呼ばれる。1948年3月25日北京で処刑後,遺骨は川島家に届けられ,松本市蟻ヶ崎の正麟寺に葬られた。

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【百年ニュース】1920(大正9)6月5日(土)跡見女学校で校舎改築のためのバザーを開催。卒業生の華族らが多く集まり初日午前中だけで1500円の売上。跡見女学校は前年創始者の跡見花蹊から二代目校長跡見李子(ももこ)に代替わり。貞明皇后から3000円下賜。李子は花蹊の養女で万里小路通房次女。