「循環していく」 今日のイメージ
その場所のエネルギーの違いってなんなんだろう。 おウチのエネルギーをきもちいいところに近づけるには、 掃除や断捨離、家の玄関を通るヒト・モノも 関わってるだろうな。 おだやかな家。リラックスできる家。 しっかり休める家。 自分を癒せる神聖なところ。
図書館にて、 題名や表紙、中身をパラパラと見て借りていたが、 中身を数ページ読んでから借りた方が、 しっくりくるなぁ。 今までの決め手にもう一歩踏み込むと精度が上がるイメージ。
自分が感じ取ることや、 実際に体験して見ること、 それにプラスして文明の力を活用する。 想像以上の創造を楽しみはじめている。
向こう側から歩いてきた人。 その後ろの人が「何か落としました!」と声をかけている。 気付いていない。 わたしは、気付いていない人とすれ違う前に 後ろを指さして「落としました?」と言ってみた。 そして気付いて拾っていた。 関われてよかった、ほんの3秒くらいのやりとり。
初めて行ったお店。 入店してすぐ違和感があったが、そのままオーダー。 出てきた料理で、これは食べないでおこうと思うものを手をつけず残した。 学び。 オーダー前に違和感があったら、着席後でも引き返す(可能であれば) 残さず食べねばで食べなくてもよいという、受容。
日本で行ったことのないところに行ってみるというのは 自分の中の知らなかった、気付いていなかったよさを知る感覚に 似ているのかもしれない。 遠くじゃなくとも、日帰りでも、数時間でも 近所の歩いたことのない道でも、 私とつながる何かのきっかけが散らばっている。
やればできるを伝えたかった情熱的な若かりし頃。 今は何をしたいか。 もっているよさ活かしたり、発掘したり、 一緒にそだててみませんか、 みたいなことかなぁ。
人の数だけメディアがあって、 そのときフィットするものからインプットして、 それでまたアウトプットする。 そんな感じの流れはきもちがいい。 よい循環が生まれはじめている。
間違ったことも 嫌だったことも 傷付けたり、 傷付いたことも ことばにできないあれこれも… ひっくるめて「ゆるす」 まっさらに。
自分のことを知らない人になら 悩みを打ち明けても漏洩することがないという安心もあって 話せることがあった。 今は関係が近すぎないけれど、信頼できる人にも 救われている。 誰かに話す、伝えてみるというのは エネルギーもいるけど、次に進むひとつの方法になっている。