「日経」の「私の履歴書」の本庶佑さんの本日の記載内容は、1967年当時の大学の深刻な状況、すなわち、全国的に燃え広がった大学紛争で、大学が機能不能に陥り、本庶さんの博士学位論文は、できていましたが、審査ができず、研究継続のため、米国行きを決意するまでの経緯を記しています。