読書する習慣がない子供が多いと、昔紙面を騒がせていたが、今度は大人が読書しないと騒ぐ。つまり読書そのものの意義が薄れてきてると見てる。というか大人が読まないから、その子も読まないと考えると、至極自明となる。学校も予備校も点取る読み方を叩き込むから、作品を愉しむゆとりがなくなる。
うぃい~と声掛けされたから、誰かと思って振り返ったら普通に大学の同級生だった。俺が「お前、帰ってたの?」と驚くと「職場が変わったんよ。」とあっけらかんと。因みにこの同級生、メンタルガチの鉄板なのですさまじい度胸も持ち合わせてる優秀なお方だ。だから、声もデカい。声掛けありがとな。
熱心な仕事ぶりで細かいとこまで実に丁寧に落ち着いて教えてくれる、学校の先生みたいな先輩がいた。一緒に仕事して楽しかったけど、その先輩は別の部署に異動していった。大学でもいい先輩達に恵まれた。講義ノートや過去問が手に入るには自分も講義をメモし協力しなくてはいけなかったのが辛かったが
最近国民民主党のショート動画が良く上がってくる。榛葉幹事長の生活減税演説がどのくらい拡散されてるのか判らないが、視聴回数からいって確かに一定数の視聴者がいるのは伝わる。玉木代表の減税政策を旗印に解散に備えるのは定石だから。でも選挙は政策より候補者の人柄に軍配が上がりやすい。
国民民主党の榛葉賀津也幹事長、正論唱え与党と渡り合う質実剛健な課題解決型のタイプの政治家。榛葉さんの活躍こそ、与野党超えた政治の前進である。
大学行ってたら違ってたんだろうなって思ってる人は今から試験頑張って受ければいい。そして行って気付くよ、決断は時期の違いだけで人にはそれぞれ自分の目標は動かずに控えてるだなあという事に。何で高校から大学にってフォーマルに拘泥するのかまるで理解に苦しむ。やろうよ、学問。
政治で与党が過半数なのに解散権行使する理由は?というテレ東ビズの問いにアンサー動画観ずに答えてみる。皆さんは料理屋さんのタレを継ぎ足して使うシーンを見た事があるか?衆院議員任期を継ぎ足して、権力行使の寿命を引き延ばすのが解散だ。活動期間の延長と捉えると良いと思う。
灰谷兄弟のコンビネーションがかっけえなと思ってる。蘭と竜胆の絶妙なやり取りが東リベの売りであろう。六本木締めてる言うが、何とも恐ろしい。東リベで後好きなのは、九井と柴大寿。二人共極めてる感がある。
スタバでアイスラテ飲みながら、仕事のスケジュール確認をするのだが、どうにもでけぇ声でガヤってる連中がいて落ち着かん。と言って静かにしてなんてのも言うのも野暮ったいので、仕方なく作業を続ける。いとをかし。そういや受験時代も家で家族が吠えていて、勉強が捗らなかった。あたおか無双。
最近YouTubeのショートで見かける、受験煽りの新興予備校は何なん。受験なんてこんなもんだぜ、うちら知ってるぜ~みたいなクソ動画を上げ続けてるんだが。自分が国立入れたから、受験業界知り尽くしてるって何で言えるんかね?人の人生をパターンに当てはめ、人生こうだだなんて言えんよ。
日本もこの上ない残虐な行為を歴史上してきた事実がある。愛国心とは都合よくこの国の行いを掬ったものから成り立つもので、日本という国を相対的に論じなくてはなるまい。旧優生保護法のような悪魔的所業を国家ぐるみで行ったという現実を振り返った上で、この国の新しい土台を築いていくべきだ。
米中会談では互いに牽制球を投げ合う中身に。米民主党の緩さ加減は半導体規制にどう繋がるのか疑念。日本の頭の上を大国同士がやり取りしてるのは、岸田総理から見てどう総理は思われてるのか、話を聞きたい。日本は所詮米国の属国でしかないという見方が、我が国のプレゼンスを押し下げてる。
社会を学ぶって意外と、学生の課題になりがちなんだけど社会に参加しないと判らない事の方が多い。でも最先端の理論を学ぶには学校は使えるツールを提供してくれる。自分は社会科学を学ぶには、色んなツールを集めた方が良いと思ってるので、その意味で学校で社会を学ぶのは良いと思うなあ。
余り呟きたくなかったが。。永山絢斗さんの件。和田アキ子さんが何で大人がんな事やるかね?というし、お兄さんの永山瑛太さんもまだ判決が下されてない容疑の段階で許さないとか言うし。絢斗さんが違法薬物使った結果だけしか見えてない。まずその薬物がどこから流れたのか?誰が彼に売ったのか。
思えば私も生意気な後輩であった。自分さえ勉強が出来れば、知識が豊富なら何とかなると思い込んでいた。それは偏に学業さえ専念し、ある程度の結果を出せていれば、どっかしら進路は切り開けるだろうと勘違いしていた。今から過去に思い返して、助言をするなら、一般常識を身につけよ、と言いたいね。
調子に乗るなと言われて、余計に調子に乗るメンタルってとても大事だと思ってる。よくライバルは自分とか言うと周りが見えてないとか叩く人いるけど、本人としてはホントにそうなんだろうと思う。人と競う事は目的ではない。元来の目的は如何に結果に近づけるか、という事である。大義を見据えたい。
独善的になってはいけない。嘗ての師からの重いお言葉である。学び続けよ、燃え尽きぬ限り。そして、心の置所を作れや。
FF16は、ストーリーとアクションのいずれかを選べる。難易度設定がないのも特徴的。画も欧米的な如何にもという感じ。アメリカで売れないと仕方ないからだろうが、露骨になぞるのは些か腑に落ちぬ。FFらしさとは、新しいイメージをたえず創造することであり、迎合するものではない。