子育ては、損得勘定を捨てることに幸せを見出すという人間性の本質を耕す オロオロしない親は育たないと昔の園長たちは言った。そのオロオロを子供を見て親子の絆が育ってゆく。子育ては自信を持ってするものではないし、正しいやり方があるわけでもない。いい親でありたいと思った瞬間があればいい親
なにがしかの意味での「戦い」がそこにあれば、人間は正気に立ち返れる 正々堂々とした何らかの意味における「戦い」に日常的にその身を投じ続けていない限り、「正気」を保ち続けてられない。人間の精神は元来そのようにできている 生きることも一つの戦いである。戦闘放棄は生存放棄にもつながる
今の社会において正々堂々と、事実を踏まえた「戦い」を体験するにはどうしたらいいだろうか? 生きるを買うでも楽しむでもなく、生きるという戦いを実感するにはどうしたらいいか? 全体を意識する謙虚さの共有が可能になるためには人々との共闘というのが大事になるのではないか?