同じ考えの人ばかりが集まっても人間の力はより良く発揮できない 人間の脳は役割分担や補い合いを前提とした発達をするよう進化してきたから、異なる視点や発想の人が信頼しあい力を合わせたほうが脳の機能を十全に発揮できるはずだ 意見が不一致でも信頼しあうには勇気と寛容さが必要だ
言語のゲームという言葉を知った。ゲームはルールを決めて共有することでようやく成立する 今、同じ言葉でも違う意味で使っている人が多く、相手の言葉の意味と感覚に違いがあるのではないかとよく不安になる ゲームのルールはゲーム上では絶対だ。同じ基盤を共有できれば対話が成り立つ
今、政府と国民との生の感覚に大きな差異があると思う 感覚が全く違うもの同士のでは同じ言葉でも中身が全然異なることになってしまい話し合いにそもそもならないと思う 感覚の変化を相手に引き起こさせるのは論理ではほぼ不可能に近い 感覚が違う相手とは距離を置く以外に今は手段が無い気がする
力の上下や知識の有無は補い合えれば問題ない だが、志向性の違いは補ったりするのは難しい。幸せにあり方も主体的であるがため、必ずしも共有できるとは限らない 分かり合えない、協力し合えない境目、感覚の違いは存在しているともいえる 人間だからや同じ民族だからでの絶対性はないと思う