ジャン゠リュック・ナンシーは、バタイユを「共同体の現代的体験、すなわち生み出すべき作品でもなく、失われた合一でもなく、外の、〈自己の外〉の体験の空間それ自体であり、その空間化にほかならないものとしての共同体を最初に体験した、あるいはそれを最も鋭敏に体験した人物」であると言った。
非人称で無名の、 存在の無名の流れが侵入し、人であれ事物であれあらゆる主語を沈めてしまうのだ。 「イリヤ」は非人称の存在のことであり、そのなかで「主体」は成り立たない。 個々の存在者がかたちを取ることが不可能な状態が「イリヤ」なのである。