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【百年ニュース】1920(大正9)6月24日(木)秩父宮雍仁親王(淳宮)が伊藤飛行機研究所(津田沼)に山県豊太郎(22)を訪問。突然の訪問だった。山県は当時日本最高の飛行士。日本の民間飛行家初の宙返りに成功。4月に東京大阪無着陸懸賞飛行に成功したばかりで知名度が高かった。

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【百年ニュース】1920(大正9)4月21日(水)帝国飛行協会が東京・大阪間無着陸懸賞飛行大会を実施。同会所属の飯沼金太郎と伊藤飛行機研究所所属の山縣豊太郎が争う。飯沼は丹沢の山林に墜落し重傷(生涯飛行不能)。山縣は成功し賞金1万円を入手するも、わずか4カ月後に習志野の鷺沼で墜落死した。