あなたは天国に向かって進むか、天国から遠ざかってどこにも行き着かないかのどちらかを選ぶだけである。それ以外の選択肢はない。 T-26.Ⅴ.1:11-12
世界がこれまで見てきた夢のすべての結果から、あなたはどれほど脱出したいと思っているだろうか。...それならば、単に、夢の始まりに目を向けてみよう。なぜなら、あなたが見ているのは夢の第二の部分にすぎず、その原因は第一の部分の中にあるからである。T-27.Ⅷ.5:1-3
自分で幻想を作り出したと知覚しているとき、誰もそれらを恐れはしない。恐れがしっかりと保持されていた理由は、自分が夢の作者であって夢の中の登場人物ではないということが、彼には分からなかったからである。T-28.Ⅱ.7:3-4
あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことである。真実を探し出す必要はないが、虚偽を探し出すことは確実に必要である。 T-16.Ⅳ.6:1-2
自らが望んでいないことを学ぼうとしてきたあなたは、元気を出しなさい。あなたが自分のために定めたカリキュラムは、まさしく気が滅入るようなものだとはいえ、直視するなら単にばかげているだけのものである。 T-12.Ⅴ.8:1
あなたが学ばねばならないことは、時間は他ならぬあなた自身の意のままになるものであり、この世界のいかなるものも、その責任をあなたから取り去ることはできない、ということである。T-10.in.1:4
救済はいかなる種類の妥協でもない。妥協するとは、自分の望むものの一部だけを受け入れることであり、少しだけ取って、残りは諦めるということである。救済は何も諦めない。それは誰にとっても完全なものである。T-23.Ⅳ.3:1-4
自我は問題の根源においてではなく、それらが作り出された場所ではない所で問題を解決しようとする。それにより絶対に解決が得られない保障を得ようとする。聖霊は完全かつ完璧に解決することのみを望んでおり、それゆえに問題の根源をそれが真に存在する所に探して見つけ出し、そこで問題を取り消す。
あなたは実際には十字架刑を恐れているのではない。あなたの真の恐怖は、救いに対する恐怖である。 T-13.Ⅲ.1:10-11