日米戦争があった事を知らない若い子がいるってニュースになった事がある。情けないとか、しょうがないとか感想が飛び交ったけど、誰も教育行政の欠陥を指摘していない。教育を施すのは、国の権能だし、限られたリソースを子供達に提供していくという大義がある。先ずは、事実の確認から。
地域の少ないリソースをどう振り分けるか、地方自治の課題は根が深い。若者を地域にどう留まってもらうか、地域振興には彼らに過ごしやすい制度も急務であろう。教養科目で地方自治を取ったけど、未だ具体的な解決法を誰も知らない。先ずは、雇用の確保だと思うのだが、どこまで国や地方は理解してるか
歴史を学ぶのは、ファクトチェックの側面と評価の側面とをバランス良く見なくてはならない。事実と評価とは別物で、先ず何が起きたかを因果関係を超越して確認すべきだろう。歴史教育では、論点で意見を戦わせるのも無論大事だが、何より時系列で物事を追っていくのが先決だ。
人間の頭脳は五万年前からあまり発達していないと十倉先生。物性物理の先生が言うくらいだから、妙に腑に落ちて。感情と論理のバランスが相克しきれず、どちらかが極小化するくらい、脳の活動が過剰になっているのかと思ってしまって。そもそもその二つが調和という理屈自体間違ってるかもしれないけど
予備校での学びは少しも楽しめなかったのは覚えてる。受からねば今のこれもパーだから。大学で学ぶのは楽しかったな。これの区別がつかなかったのに、まさかこんな意味から来ているのかとか解ると、過去に遡って、論点の伏線を回収したくなる。俺は大学の勉強は好きだったんだな・・。