大学で学ぶって、基本的には教科書というコンテンツを教員の解説を介在して授業として提供されるという事だと思う。ただ教科書を流し読みする昔ながらの爺さんは要らない。考える力をつけるのに、争点に踏み込まない惰性の講義も、使えぬで。本気で講義に関心を持って視野拡げようとする奴もおるで。
考える事から逃げるな、とよく先生から言われた。ともすれば何気ない一言だったかもしれないが、よく覚えている。目の前に事象が起きて、それに対しどう対応するかっていうのは、先ず頭に問いかけるのだろう。だが、簡単な事ではない。人の知恵を高めるには日頃からの訓練を要す。だから先生が言った。
学期末試験で理不尽なランキングに涙した中高生はいるだろう。自分は期末の勉強で寝れなかった事もよくあった。そして迎える大学受験で自分は解放されつつあった状況を味わえた。これでもうあの勉強の日々から抜け出せるのだと。だが、結局大学でも競争は続いた。試験の連続と就活。いつだってそう。
優秀な数学の先生って少ないように思う。というか、自分が解ける事と人に説明出来る事にはズレがある。何の為の証明で、どういう事象解析に役立つかを論証出来ればいいが、主にいきなり生徒に問いかけ、論を組ませるという発想は動けない生徒には余り有益ではない。先ず、先生側が論証せねばダメだ。