サングラスと避雷針
人であふれる街の中で、人生の敗戦を抱えて歩き続けるのは容易ではない。少なくとも今の自分にはそうだ。
恥を忍んでいうと、他人の幸福(と感じられるもの)を目にすることに気が進まない。自分の器の小ささに目を覆いたくなるが、事実である。
かといって閉じこもっていては生活が立ち行かないし、目を閉じ耳を塞いで外出するわけにもいかない。
この点、サングラスは便利だ。
サングラスを掛けると自分と社会の間に薄い壁を作るので、多少落ち着く。
また薄黒の色が付いた世界はリアリティが抑制され、作り物感が出てくるのも良い。
最近、視線を心持ち上向きにすると、目から入る情報量が少なくて済むことに気づいた。
少し離れたビルのてっぺんに立つ避雷針を見上げるのが自然でいい。
今日も晩夏の空に向かって、無数の避雷針が立っている。
もし、とても視力の高い宇宙人が地球を眺めると、避雷針のトゲが林立する地球は、あたかもウニのように映るのではないかと思う。
いや、海洋や山脈や砂漠には避雷針がないはずなので、部分的にウニっぽく見えるというのが正確かも知れない。
と、そんな阿保なことを考えている間は、失った人間関係とか挫折という痛みから離れられる。
くだらない空想のついでに、自分の頭のてっぺんに避雷針を建てることを想像してみる。
その避雷針は私を苛む事実のエネルギーをキャッチし、そのまま地面に放電してくれる。私は無傷である。
そんなものがあれば、日常はもっと気楽なものになりそうである。
落雷の電流を散らしても自分の情け無い歴史が変わるわけではない。ならばせめて衝撃だけでも回避したい。辛い経験を受け流すための避雷針を、心の中に建てたいものである。(零)
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