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#10【軌跡】ここまでの道のり、これからの目標
こんばんは!RAD LIVEのはしもと です!
ついに#10という事ではしもと の今までの道のりを。
めちゃくちゃ長いです!GO!
第一章-今の仕事にたどり着いたキッカケ
まずは、どうやって今の仕事にたどり着いたのかご紹介します。横浜出身のはしもと ですが、小中高を経てESP学園という音楽系の専門学校に行きました。理由としては、自分が好きだったバンドがそんなに売れてなくて(今の環境に来てみればめっちゃ売れてたんだな..と思いますが)、なんでこんな良いバンドみんな知らないの!?俺が好きなバンドが売れるように俺が頑張ろう!という気持ちで(マジ)第一歩を踏み出したわけです。
ちなみに専門学校で学んだ事で今でも生きているのは、お酒飲むの楽しい!打ち上げ楽しい!人と人との繋がり大事!ワークライフを充実させるには自分次第!くらいかな?
専門学校、疑似体験的なのは出来ますがリアルでは無いし、本人のやる気次第で怠くもなるし、未来にもつながる。そんな場所でした。
専門学校って大体グループで1つの物事を進めるので、卒業後すぐ大きいイベント会社とか音響会社に入りたいなら向いてるかも?
ライブハウスで働きたいとかなら、今すぐライブハウスでライブハウスのノウハウを学んだ方がいいと思います。
そんなこんなで、専門学校時代、やりたい事が増えすぎた結果、色々やってる会社探してて(当時の講師の先生に相談しただけですが)RAD CREATIONに出会いました。会社名古屋で当時の俺は横浜在中だったんですが、速攻で引っ越しました。あの時の勢い凄かったなと、今でも思います。
第二章-最初の一歩
そんなこんなで専門卒業後突如名古屋で一人暮らしを始めて、仕事が始まったのですが...当時の俺の想像を絶する大変さでした。辛かった〜。笑
なんとなく流れに身を任せながら20歳まで生きてきた僕には刺激がすごかったです。心は無限に折れたんですが、今となってはずいぶん頑丈になりましたね。笑
話は戻りますが、入社当初はもともとやりたかったレーベルの仕事や、ありとあらゆる告知画像だったりそういう画像作りまくったり、CDジャケのデザイン組み立てたり(TRUST RECORDS所属バンドの旧譜のクレジットに散々名前載ってるから探してね)、この頃はバンドのブッキングしてました。ちなみにParty'zにいることが多かったです。
で、2013年にRAD HALLが完成し担当になりました。
第三章-RAD HALLの始まり、アイドル初めまして
RAD HALLについても少しだけ。2013年のFREEDOM NAGOYAが終わってから、RAD HALLオープンに向けて準備が始まりました。これまた過酷。笑
まず、RAD HALLの赤と黒の床、あと遊びに来てくれてる人ならわかると思うんですが、ホールの横にある物販スペースの床のタイル、その当時の社員全員で頑張って全て貼りました。ホール内にある換気扇とかも業者と協力して設置したりしました。超手作りなんです。愛着MAX。
でRAD HALLもオープン当初はR.A.Dの流れもありバンドイベントが多かったです。今となっては武道館やホール埋めるようなバンドも出てたんですよ!
ただ杮落しはグラビアアイドルの篠崎愛がいたAeLL.ってグループが出てたアイドルイベントでした。笑
そんな感じでアイドルイベントっていうものに始めて触れました。まさか自分がやることになるとは1mmも思ってませんでした。全然興味なかったんですよねその時は。
僕の中でアイドルの見方が一気に変わったのはRAD HALL出来て1ヶ月後くらいに突然訪れました。
BiS 『そして終わりのない悲しみ』
そう、BiSのワンマンライブです。これ間違いなくターニングポイントです。ただこのワンマン、マジで色々ヤバかったです。半ベソかきました。
何があったかは是非こちら見てください。笑
その頃の僕は、バンドしか勝たん!状態だったんですが、この一日でひっくり返りました。こっからBiSにめっちゃハマりました。これが僕のアイドルの入り口です。
ちなみに、このイベント終演後、渡辺淳之介さんにめっちゃ謝りました。ビビりながら。
『面白かったんで大丈夫です!』って言われたのは今でも鮮明に覚えてます。
第四章-謎のプライド
BiSと出会って、アイドルもかっこいいなー!ってなったんですが、すぐアイドルイベントやろう!となったわけでもなく。アイドルイベントやってる人って思われる事に謎の抵抗がありました。
そんな謎のプライドを抱えながらもRAD HALLで頑張ってたんですが、その時に出会ったのが当時CAMOUFLAGEのマネージャーをしてた森さん(現KiTSUNE WORKS)です。
森さんもその頃、名古屋でイベントやってたりして、なんかのタイミングでこの人ブッキング色々助けてくれるんすよって話で出会ったのがまさきちさんです。
なので、森さんもまさきちさんも出会って結構長い!実は。
ただまだ僕は謎プライドでイベントやることはなかったです。今考えればしょうもないプライドだなーって思います。笑
第五章-初のアイドルブッキング
そんなこんなでその他のアイドルの運営さんとかと絡む事はあったのですが、イベントやるとかでは無く、その後1、2年くらいはこれまでの様にとりあえずRAD HALLの運営を頑張っていた中で、『イベントにあのアイドル誘いたいんだけど』と相談されて、初のアイドルブッキングに踏み出しました。
はしもと の始めてブッキングしたアイドル『あゆみくりかまき』
なんかいきなりそこ!?感ありますが、マジです。こっから少しづつアイドルイベント開催に向かっていきます
第六章-ついにアイドルイベント始めました
あゆみくりかまきをブッキング出来たものの、アイドルブッキングにはまだ消極的なところがあったのですが、RAD HALLで突然日曜日がぽかんと空いてしまった日がありました。
どうしよう...となった結果、アイドルに頼るしかない!!となって、はしもと 初のアイドルイベント開催が決まりました。
ここで『RAD iD LIVE』誕生。2016年。
ただ開催日まで時間が1週間くらいしかなくて、マジやばい!!!!!となり、連絡取れる運営さん、HPで名古屋の演者探しまくって直撃メールしたりとできる限りの手を尽くした結果。。
総動員360人
ありえねぇ!!アイドル半端ねぇ!!変なプライド持ってる場合じゃねぇ!!面白い!!!
こうして僕のアイドルイベントライフがスタートしました。
第七章-RAD iD LIVEの成長
RAD iD LIVEは元々、埋まらなかった土日などで開催しようと思っていたイベントで積極的な開催ではなかったし、地元グループだけで開催してたイベントだったのですが、いつしか県外のグループも少しづつ出てくれる様になりました。
RAD iD LIVEを本腰入れ始めたのは2017年かな。我儘ラキアとSolaSoundの2マンやったり。イベントを通してアーティストを押し上げれる様に頑張ろうと思い始めてからは色々早かったなと思います。こっからかなり楽しくなってきた感じ。
2018年からは今までと真逆。県外グループメインのイベントになって行きました。
名古屋人入らないという理由でなかなか来ないグループ沢山いたのですが、それなら俺がめちゃくちゃ強くなって人が来るイベントやれればグループに還元できるなと考え始めたわけです。
そう思って2018年7月にRAD HALLとTOYSで開催した『RAD iD LIVE-Roller Coaster』
これがもうめちゃくちゃ人来ました。こっから俺めっちゃ調子乗って行きます。笑
その頃はまだ雇われだったので、会社のミーティングで
『絶対に勝つので、ギャランティ積んだイベントやりたい』
こうして生まれたのが『NAGOYA NEW WAVE FESTA』です。
第八章-NAGOYA NEW WAVE FESTA誕生
先ほど書いた通りの理由でNAGOYA NEW WAVE FESTA誕生。ブッキングも好調。結果豪華メンツで開催する事が出来ました。
今見てもめっちゃ良いメンツだなと.. そして、初開催にして1200人動員。イベントも終日最高で。俺の中のアイドルに対しての気持ちが更に動きました。
具体的に書いちゃうと、名古屋のアイドルイベンター界の構図ぶっ壊してトップになれる気がする..。と思いました。
名古屋は売れてる、売れてない関係なしに イベンター = 運営 っていうよりは イベンター < 運営 という空気感あって、めっちゃ気持ち悪いなと常思ってて、もちろん演者ありきのイベントですが、謎のマウント感、それをぶっ壊す事を目標に頑張ってたのでここからちょっとづつ空気感が変わってきた様な気がします。
第九章-調子に乗って突き進むはしもと
NNWF(NAGOYA NEW WAVE FESTAの略)を成功して、更に調子に乗った俺は年末イベントに向けて突き進みます。2018年の年末イベント。
デビューしたてのZOC他、この頃にはよくイベントに出てもらっていた鶯籠、白キャン、そこにアフィリア、山活など豪華メンツで開催した結果...
リストバンド引き換えの大行列。その節はすみませんでした...。 *以後メンツがいいときはプレイガイドちゃんと通す様にしてます🙇♂️
ただイベントは大成功だったと思います!楽しかった!
これと同時にNNWF成功後、もっとこの分野を突き詰めたいなと思って独立を決意。完全に勢い任せです。
で、会社の忘年会の時に打ち明けた結果、少々バトったのですが(笑)、無事独立決定。
RAD LIVE株式会社 設立!
ただ設立、登記までのスピード早すぎて何もわからないままスタート。なんとか頑張っています。
第十章-RAD LIVEスタート
2019年1月11日からスタート!まず最初のビッグイベントは
でらロックフェスティバル2019
でらロックはアイドルのブッキングと運営の協力してます。でこれがまた会心のブッキングをかましてしまったわけです。
【最終地獄メンツ解禁】
— はしもと たくみ (@takumicks) January 4, 2019
来年の2月2日、3日開催
でらロックフェスティバル
メンツ最終発表
橋本はアイドルのブッキング中心なんですが
半端ないラインナップ揃いました💣
2月2日
ぜんきみ!神宿!ZOC!アキシブ!ラキア!他
2月3日
スパガ!妄キャリ!ニジマス!天晴れ!ゴキ帝!他
追加だ!! pic.twitter.com/oKbmmeEszV
その後勢い落とさず、5月1日、5月2日 2DAYS 初ダイアモンドホール!主催開催の
RAD JAM 誕生!
これも本当に最高の2日間でした!
更に更に勢いのまま10月5日
RAD JAM Extream supported by Chuun
こちらは初めてテレビ局絡ませて開催してみたイベントでした。とても勉強になりました。権利関係めっちゃめんどい。。
更に更に更に10月12日には昨年に引き続き、NNWF!と思いきや台風で開催できず幻のイベントになってしまいました。
中止決定した際はマジで絶望しました。
ただこれも試練だと思い、即リベンジマッチとして年末 RAD iD LIVEの年末SPとRAD THE LIVEの2days開催
RAD iD LIVE-年末SP-
この日はめちゃくちゃエモかったですね。始めて自分のイベントに""BiS""が出た日。今まで一番呼びたかったグループ。タイミング合わずここまで時間かかったし、形態も変わってるけど、自分のスタート地点。しっかり目に焼き付けました!一つの目標達成。
RAD THE LIVE
NNWFのリベンジと銘打って開催。元々出演予定だったグループもほとんどご出演いただけました。2019年の悔しさを2019年のうちに晴らせてよかった。気持ちよくRAD LIVE2年目の年に進めました。
最終章-これからの目標について
2020年の活動まで書いちゃうとすでに長いものが更に長くなっちゃうので割愛します。気になったら是非Twitter掘ってみてください!
今まではアイドルシーンに対して、名古屋シーンを盛り上げたいという建前でやっていたのですが宣言します。
自分が現在のシーンの最前線にさっさとたどり着いて、結果名古屋が盛り上がるという形を目指して行きます。というか目指してます!
名古屋シーンの不振を人のせいにしない。そういう気持ちでやっていきます!
勝ち負けとかの話では無いですが、負けません。
目標は誰かに伝えた方が責任感が生まれるので、みんなも是非目標とかは是非表明していってください!
長々とお付き合いありがとうございました!
また明日!
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