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希望は心の太陽である(倫理法人会経営者モーニングセミナーにて)

希望は心の太陽である。
私の希望は、幼少期から、人類が十年後も、百年後も、千年後も幸せに生きて行けるような世界をつくることでした。
そのために、己を尊び人に及ぼす。「私の、日本人の、そして世界中の人々の心を豊かにしよう」と思って、生きて参りました。

小学生の時は「学校の先生となって、国の宝である子供たちの心を豊かにしよう」と考えていました。
しかし、計算してみると、教師としてはどんなに頑張っても2万人を超える子供を育てることができないことがわかりました。

「もっと要となるところは何か」「社会の土台は何か」を考え、「外交官となって、日本と世界中の国々との関係を取り持っていこう」と思ったのが、小学5年生の3月でした。

この思いを抱いて、中学校、高校へと進みました。
高校の先輩には、官僚になった方も多くいたので、話を聞く機会がありました。
しかし、少なくとも私が見た実際の官僚の姿は、私が生きたいと思った姿ではありませんでした。
限られた裁量の中で、卒なく生きているような印象を得ました。

ちょうどその頃は、家計が苦しいときでもありました。
父は公立高校の教師をしておりましたが、非常勤の先生でした。非常勤の先生というのは、非常に給料が低く、月の教員としての収入が3万円というときもありました。
私の家は4人きょうだい6人家族。とてもでないけども3万円では生活できず、奨学金をいただきながら高校に通っていました。

恒産無くして恒心なし、衣食足りて礼節を知る、と言います。
「将来を担う若者を育てる先生ですら、このように苦しい状況。まずはこの国の現状と将来とをどうにかしなければ、決して豊かな心は生まれない」と思い、政治家を志しました。

しかし、政治というのは、手段に過ぎません。
働きは最上の喜びと言いますが、私自身が働く者の心を持ち、ノブレス・オブリージュ、社会に貢献した上で政治家にならなければ、本当の政治はできないと考えました。
そこで、20代は幹部自衛官として国防の最前線で奉仕し、30代は経営者としてビジネスの現場で働き、そして40代で政治家になろうと考えました。

信ずれば成り、憂えれば崩れる。
その後、私は、防衛大学校、航空自衛隊、そして経営コンサルタントから雇われ経営者を経て、会社の先輩だったNさんのご紹介で、倫理法人会に来るようになりました。

人生は神の演劇、その主役は己自身である。
今年の7月、衆議院議員の公認候補予定者となりました。
有難いご縁の連続で、予定を10年ほど早め、27歳で挑戦することになりました。

いまも働きながら、埼玉の地で政治活動をしております。
今日も一日、喜んで、進んで、働いてまいります。

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