悪趣味塗り絵画家Shiki氏、初個展「パラノイア」講評 〜社会風刺としてのアート〜
「塗り絵画家?」「塗り絵は子供のする物だろう」とタイトルを読んで思った読者も多いはず。私もそのうちの一人だった。しかし、私はShiki氏の塗り絵を見てそのような価値観はボロボロに打ち壊されてしまった。それほどまでに、「悪辣さ・悪趣味・アート」を感じさせられたのが、今回のShiki氏初の個展「パラノイア」であった。
Shiki氏の塗り絵を知らない人に説明すると、「子供用の塗り絵を大人用の塗り絵に書き換えられた」というところだろうか。具体例をいくつか交えて説明させていただく。
ドナルドがケンタッキーを燃やす。バーガーキングに火をつける、などの元々書いてある線を逸脱した塗り絵の改変、はたまたタトゥーを施したバービー人形の改造まで・・・。これらは悪辣さを窮める、ひどい所業だ。
しかし、ただ単純にイラズラをしているようには見えない。何故か?
アートの役割
著作権や法律、既存の文化を畏れない画家はこれまでにも存在した。
例えば、最近で言うと路上に社会風刺の落書きをするバンクシーであったり、ちょっと昔で言えばアカデミー絵画のルールを無視した印象派のクロード・モネ、アートをアートの枠組みから開放したマルセル・デュシャンなどがその代表例だろう。例を挙げればキリがない。
彼らに共通しているのは、ただ単純に悪さをしているわけではない点だ。
路上に落書きになんてどう考えても違法だが、バンクシーの作品には反戦・反消費主義などの大義が詰まっているように見える。「ルール(法律や既存の風習)を無視して大義を為す」という点で実際、多くの人から支持を集めている。つまり、知性に裏打ちされた作品が、彼らの逸脱行為を正当化しているということだ。
他方、Shiki氏の作品は悪辣さを窮めているが、映画作品をオマージュにしたユーモアであったり、その裏にある社会風刺としてのアートの存在意義を感じさせられずにはいられない。
上の作品はマリファナとボング(吸引器具)を広げるドナルドたち。マクドナルドに訴えられたら即アウトな作品だが、「ジャンクフードは身体に悪いのに大麻は禁止なのか?」と言うメッセージにも聞こえる。下の作品は映画『羊たちの沈黙(1991)』のオマージュ。
また、女児用のバービー人形をタトゥーを施したり、Nikeのシューズを履かせたりするなどの日常と非日常の融合も、筆舌に尽くし難い。
「これはアートなのか」「アートの存在意義は何か」と自分に問いかけはじめたら、あなたはShiki氏の術中にまんまとはまっていることだろう。
現代アートのルーツ
そもそもShiki氏のようなアートが生まれ出したのは記憶に新しく、ここ1世紀の話である。マルセル・デュシャン『泉』に始まった芸術作品の再定義は、ついに悪辣窮める塗り絵にまで進化した。
マルセル・デュシャンの『泉』を知らない人のために説明すると、展覧会に出る予定だったデュシャンがトイレの便器を作品として出した、という契機に始まった「芸術作品とはどのような枠組みで決められるべきか」と言う芸術論争のことだ。
Shiki氏の塗り絵もまた、芸術理論の上書き・再定義に大きく貢献することだろう。塗り絵とは一体なんなのか。塗り絵とは誰のためにあるのか。塗り絵はどう使うべきなのか。彼女のアートのさらなる進化に期待だ。
その塗り絵やバービー人形にアートの真骨頂を見たければ、今日(11・15)までの東京は原宿、shiki氏初の個展「パラノイア」へ行ってみてはいかがだろうか。
講評はわたくし、橋本ガンジャでした。(2020/11/15)
Shiki氏
正体不明の覆面アーティスト。塗り絵やバービーを改造して遊んでいる。彼女曰く、これらは「イラズラ」で「ママに見つかったら怒られる」らしい。
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