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創造都市横浜の前夜― 現代美術・アートプロジェクトとの出会い

2017年に担当したTARLのレクチャーに合わせて、facebookで振り返りの投稿をしていました。リライトしてマガジンにまとめておきたいと思います。あくまで個人的な視点ですが、ご笑覧いただければと思います。

大学生活と横浜トリエンナーレ2001

2000年に横浜国立大学に入学し、映画を勉強しようとしていた橋本は、映画サークルなんかにも所属しつつ、DVカメラでいろいろ作品らしきものを撮ったり、頼まれ撮影などをしていました。授業ではわりと他分野の先生がいたので美術というよりは現代的な表現全般について知ることのできる環境で、とにかくたくさんの映像資料やらを見させられたり、レポートを書かせられたのがいまの基礎体力につながっていると思います。

それで、後にゼミに入ることになる室井尚先生が何やら椿昇というアーティストと組んで(正確には、河本信治キュレーターにより組まされて)、横浜トリエンナーレ2001(初回)に出品するから、そのプロジェクトのドキュメントを映像で撮れという話が出てくるわけです。

現代美術は、授業で歴史とかには何となくふれたけどあまり意識して見たことがなくて何それおいしいの状態だったわけですが、一応、国際的な展覧会らしいし、関わっておくと何かにはつながるかなくらいの気持ちだった橋本。椿さんがはじめて大学に来たときのことを今でもとてもよくおぼえています。 アーティストに会うという体験自体がはじめてだったわけですが、早い話がアジられたわけですね。関わるなら、自分たちを踏み台にしていくくらいの気持ちで来いよと。

椿昇+室井尚《The Insect World》

そのあたりはさておき、このプロジェクト(椿昇+室井尚《The Insect World》)は2人でつくった批評的なコンセプト、IMIの学生が椿さんの指示でつくったCGと模型のインパクトで準備段階からどんどん人を巻き込んで行き、もちろんバッタのバルーンが到着してからはさらにお祭り騒ぎでほんとうにいろんな方にお世話になりました。自分も気づけば手伝いという気分ではなく、ひとりのメンバーとして授業やバイト以外の膨大な時間を費やしていたのです。

ふりかえってみると、様々な人と共につくる、つくらざるをえないアートプロジェクトとして実にわかりやすく、自分の原点になっています。室井先生ご本人をはじめ、同世代はもちろん様々な世代、職種の大人の方が変わっていく姿も見ました。人の何かを開花させる力がそこにあったのです。「2人を組ませたらすごいことがおこるはずだ」と考えた河本キュレーターの存在も印象深かったです。展覧会やプロジェクトを考える立場の人がいるんだなと。

そして、様々な現代美術・アートプロジェクトにふれる経験。1ユニットのプロジェクトメンバーでもありましたから、展示の手直し・確認などもあり会場には何度も足を運びました。赤レンガやパシフィコの作品はどれも強烈でよく覚えていますが、小沢剛《トンチキハウス》では展示作家よりは若い世代が連日のようにパフォーマンスなどをしていて、それはそれでゆるい場としてとても面白く、通いつめていた気がしています。そこで、ボランティアとして関わっている方など、たくさんの方と出会ったり、トリエンナーレの作品について語ったり、別のイベントへ一緒に遊びに行くことにしたりしたような気がします。

横浜で現代美術にふれる

橋本があまり知らなかったこともあると思いますが、特に当時の横浜では(もしかしたら東京でも)、そうやって現代美術に気軽にふれることができたり、興味のある人と知り合える場自体がほとんど無かったのだと思います。必然的に、それを求める人も集まっていた。そんな機会に、みな興奮していたのかもしれません。

いちばん贅沢に時間を使える時期に、横浜ではじまったトリエンナーレに関われたこと。その現場自体を目撃できたこと。本当に幸運だったと思います。既に美術の仕事をされていた方にどのように受け止められていたかはあまりわかりませんが、当時興味を持った一般学生にはこのような体験でした。

そして大学4年生の時に、BankARTがプレオープン。創造都市的な動きが明確に出てくる正に前夜的な数年のお話でした。

ちなみに、当時アルバイトはいろいろ掛け持ちをしていたのですが、なぜか横浜美術館の様々な部署でもお世話になっていました。バッタはイレギュラーな体験だらけでしたので、発送作業、会場設営、客入れ誘導(大型展含む)、ショップ運営などなど。ちょっとしたイベント手伝いに必要なスキルはこちらで鍛えさせていただきました。

なつかしすぎるチラシ、ガイドブック、カタログたち

映像はいろんなバージョンがあります https://youtu.be/hvN_Sb7wVww

後に室井先生が赤裸々に綴った、アートンから出版された本

当時のBTと自分がうつりこんでしまった写真。BTの横トリ特集記事が凄まじい熱量でした。盛り上げようとしていたんだろうなぁ。そして雑誌に力があった時代だったのだと思いました。

資金難のため、寄付を募ってお例にあげたり売ったりしていたバルーンのグッズ。うちにはあとクリアとピンクがあります。ゴールド、ブラックがレア。

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