見出し画像

私が結婚できない理由。

yell

「それは本当にあんたのしたことじゃないんじゃない?」
バッサリと私に声をかけたのは
私をひとりでも生きていけるように育てた母だった。


「それさぁ、逆だったらどう?嫌いになったりする?」
ちょい出しした、私のいつもの強がりに
本質と解をぶつけてきたのは友人の友人だった。


「どうしようもなくなったら、引き上げたるから。」
泣きじゃくって動けなくなった私に
無償の応援をくれたのは人生の大先輩だった。


これだけじゃない数のエールを
私はたくさんもらっているのに、動かずにいたのは
私史上最大のイイワケを
10年も引きずり回しているからだ。

know

行動に移さなきゃ、理解していないことと同意だ。

自分の人生の主人公に成りたければ、決断するのは自分自身だ。

今日の私は、昨日までの私の集大成だ。


石橋をたたきもせずに、
なでるようにそうっと、そうっと
進もうとした結果がこれだ。


―――


2年前くらいから、分かれ道は見え始めた。
「あ、分かれているな。」
それくらいにしか考えていなかったから
いざ、分岐点を目前にした時
こうやって立ち止まってしまう。

考える時間はあんなにもあったのに、
どっちに進めばいいか
みんな、みんな、道を教えてくれたのに、
それでも私は立ち止まる。

無意味にも泣きながら「怖い」と
ただそれだけの理由で、
私がいちばん成りたくない、
最もダサい状態でその場に立ちすくむ。
足の裏に根っこが生えてしまったみたいに
脚が動こうとしない。

人は自身が想像している風に成っていく。

それも、数多く試してきた。確かに知ってる。


before

この道を選ぶ場合もきっと同じだ。
選択肢がどちらか一方に
決まっていることに変わりはない。
解は既に出ている。
動かない理由は
その先に絶望があった経験しか
私にはないからだ。
いざ、一歩目を繰り出そうとすると
邪魔な経験値が
その絶望シーンをリフレインする。
鬱陶しい慣習ではあるけれど、
これも一種の自己防衛なんだと思う。



私の人生のイイワケシーンは
たまに居酒屋で
笑い話にしていたりもするけれど、


大学4年生、西日本大会、
土砂降りの中のリレーの決勝。


鈍く聴こえるレーン紹介
バトンが滑ってしまいそうな左手
第1コーナーの傘
自身の悲痛を殺す、正義の感情

個人種目なんて、一切覚えていない。

リレーの第4走者がゴールした瞬間
ひそかにバックストレートにいた監督が、
ゴールした後の順位と、
速報の画面と一緒に
いつもより大袈裟なガッツポーズを
してくれたことが唯一の救いだった。

この瞬間を私は良くも悪くも一生忘れない。




記憶も感情もない表彰式から
表彰状は1度も見ていないし
トロフィーは箱の中で10年間眠っている。



きっと誰も悪くないし、
誰かを攻めたいわけでもなく
みんな幸せになればいいと思っている。
そのはずなのに、
実はそう思いたいというだけで
もしかしたら、私は意地悪く
イイワケを持ってしまったのよ!と
言いたいのかもしれない。とも思った。



時効だ、時効。(笑)




after

ここまで書いて
10年前の出来事で起きた絶望が
今後、起こるか。を冷静に考えてみると
きっとそれは起きない。
状況も心も身体も、何もかも
全部リニューアルしている。
そう、髪も爪も、感情も精神も。
それでも私は怖くて動きたくないのだ。







私はそんな経験たちも
「ありがとう」と言ってお見送りしたい。
できれば早々に。(笑)




実家に帰る機会が今年中にあれば、
10年間放ったらかしにした
箱の中の封を切ってトロフィーを出してみようと思う。






いいなと思ったら応援しよう!