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「役割」が、自分も他人も変えるという希望
人は「役割」でいくらでも変わります。求められる役割が、人の振る舞いを決めるからです。
求められる役割が変われば、自分の見える世界は変わります。自分の役割を自分でうまく決めることで、理想の自分に近づけるかもしれません。
旧友からの「変わらないね」という言葉
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役割が人を決めることを痛感したのは、高校時代の同窓会に参加し、懐かしい友人たちと再会したことがきっかけでした。社会人になってから初めての同窓会。久しぶりに会った友人からは「変わらないね」と言われました。実際、変わっていない部分も多くあるのでしょう。人は大きく変わるものではありません。
一方で、高校時代から社会人になるまで変わった部分も間違いなくあるはずでした。特に自分は多くの友人と仲良くしていた高校時代とうって変わって、大学時代には人を避けるように行動していました。就職してからは、優秀な先輩方に囲まれ、全くついていけず苦しい日々を送っています。これらの経験は自分のものの見方や考え方、振る舞いを大きく変えたように自分では思っていました。
自分は変わる、過去の役割は変わらない
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では、なぜ久しぶりにあった友人からは高校時代と変わらないという印象を与えたのでしょうか。それは、自分が変わっていないのではなく、自分が高校時代の役割を演じていたからだと考えています。
高校時代の自分は、場を盛り上げなければならないという強迫観念に囚われていました。場を盛り上げるために、高いテンションを保ち、時にはリアクション芸のようなことをする「道化師」としての役割を演じていたんです。
道化師の役割は、大学・社会人になってからはまったく使わなくなりました。大学時代は、人を避け、役割を与えられないように振る舞っており、社会人の現在は、「真面目な陰キャ後輩社員」という役割を演じようとしています。
同窓会では、真面目な陰キャ後輩社員という役割を一旦捨て、道化師の役割を掘り起こした感覚でした。おそらく、今の職場の人が同窓会に参加している自分を見たら、「人が違う」と驚かれるかもれません。
現在の自分は、真面目さしか取り柄のない陰キャ社員です。しかし、過去の自分は周りを盛り上げるための道化師でした。陰キャと道化師では、かなり大きな差があります。この差は外部から求められた役割が変わったために生まれました。
役割によって、自分も他人も変わるという希望
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同窓会での経験から、人は外部から求められた役割によって決められる部分があると思うようになりました。その役割が変われば、人は大きく変わる可能性があります。
役割が変われば自分が変わるのならば、自分で自分の役割を定義し直すことで、自分で自分を変えられるかもしれません。自分を適切な役割に落とし込むことで、自分はいかようにでも変えられる可能性があります。
同時に、他人も役割によって変わる可能性があります。苦手な人がいても、それは外部から求められた役割に従っているものであり、その人自身の本質を否定すべきものではないのかもしれません。
役割によって、自分も他人も変わる可能性がある。自分自身に絶望し、他人との距離感のつかめない私にとって、この考え方は希望になり得るものでした。