コミュニケーションにおける「間」
アナウンス室長時代、若手を指導していて
もっとも難しかったのが
「間」の感覚をつかませることだった。
「もっと、たっぷり『間』を取ろう」と
アドバイスしても、なかなか実践できない。
「もっと」「もっと」と促しても
「自分では十分、取ってるんですけど」となるので
最終的には録音して、話した直後に再生して
確かめさせて、ようやく
「ああ、取れてませんね」と納得してやり直す
・・・というようなことが、しばしば、あった。
ことのはスクエアでは、毎月第1水・日曜日に
「朗読レッスン」を開講している。
ここでも「間」について言及することが多い。
今日のレッスンでも「もう少し、もう少し」と
受講生にリクエストを出しながら
なぜ、これほど「間」を取るのが
難しいのかと考えてみた。
多分、「間」を取ることとは
相手に委ねることだからじゃないかと思う。
自分のペースではなく
相手のペースやリズムに身を委ねるには
余程の信頼関係がないと難しいし
だから、そういう確かなものがないのに
「間」を取ることは、怖いんじゃないかな。
でも、敢えてそうした「怖さ」を超えて
相手を信じて委ねるからこそ
新たな気づきとか繋がりが
生まれるのかもしれないなぁ・・・と。
コミュニケーションはいつだって
ハイリスク、ハイリターン・・・と
私に教えてくれたのは(著書でね)
鴻上尚史さんだけれど
「間」というリスクを超えることで
より深い表現を手に入れることが出来るのだろう。
「間」のない人を「まぬけ」という・・・
イテテテテ
「間」って、深いなぁ
ひそかに、「間法つかい」目指してます、わたし。