研修って「公開生放送」みたいだな
私にとって研修講師の仕事は「公開生放送」のMCに近い感覚がある。
「公開生放送」は、スタジオでの番組放送と違って、会場の観覧者にいつも見られているから、気が抜けない。CM中だって、油断禁物。腑抜けた顔を晒すわけにもいかないし、若いADのトンチンカンな指示や、カウントの出し忘れ等にも、顔をしかめて睨んだりも出来ない。
観覧者を飽きさせないように、気を配ったり工夫したりしながら、カメラが回っている時(放送中)は、視聴者にも状況がわかるように、番組を進めていかなくてはならない。観覧者と視聴者を両立することが求められるのだ。
さらに、調整室で「キュー」を出すディレクターやプロデューサーの意図もしっかり押さえて、反映させないとならない。「伝えたいことが何か」というのは、あくまでチームで考えて共に目指していくものなので、MCが勝手にペラペラしゃべってるだけではダメだ。どんなハプニングがあっても、最終ゴール地点での納得=「伝えたいことが伝わる状態」を得るために、周りに気を配りながらも、道を逸れたら微修正を重ねながら、何とかエンディングまで導いていく。
研修も、スタートしたら気が抜けない。参加者(観覧者)をつぶさに観察しながら、ゴールに向かっていくことが求められる。自分があらかじめ予定している「筋」が、視聴者に向けた放送内容だとすると、ここにこだわりすぎると、参加者が置いてきぼりになってしまう危険性がある。参加者のペースや状況と、あらかじめ準備してきた「筋」を両立できないと、うまくいかない。
ディレクターやプロデューサーは、研修で言えば主催者(総務担当、企画者など)に当てはまる。お金を握っていることもあるので、しっかり成果を出さなくてはならない。でも、直接、参加者に触れることは難しいので、成果も含めて場創りはMCに委ねる。MCはそんな裏方の想いも一心に背負っているわけだ。
頭をずっと回転させている。「今」の場をみて感じながら、少し先を予測して必要な情報を提供したり、補足したりしていく。場がガチガチになったら、弛めることも必要だ。「リラックスしてやりましょうね」などと声をかけたところで、そうは上手くいかない。参加者を巻き込みながら、筋からは大きく逸れないように、調整していく。
昔は到底思えなかったけど(撃沈してばかり)、今は、「難しいけど、オモシロイ」と、ちょっとだけ思えるようになっている。どの方向に転んでも、何とかなると思えるようになったからだろうか。「マネジメント経験」が生きているのかな。苦い経験はやっぱり力になる。アナウンサーの仕事だけをしていたら、身に着かなかったかもしれない。
30年たって、昔、上手くいかなかったことに「再挑戦」できているのは、とってもありがたい。裏を返せば、当時の(失敗)経験を、今に存分に活かせていると言うこと。そうして繋げて考えてみると、人生って学びの連続で、どんなこともきっと未来に活きる気がするから不思議だ。
一所懸命、とにかく考え抜いて、必死にチャレンジすることは、上手くいってもいかなくても、必ず力になる。
今日の「公開生放送」は、笑顔で終わることが出来た。ふぅ〜っ。
30年前より、ちょっとは成長しているってことだとしたら嬉しい。