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高校生からの質問〜アナウンサーの仕事について〜

小中学生向け朗読ワークショップに、小5の時に参加してくれたYちゃんが高校生になり、久しぶりに連絡をくれました。

職業研究の中で「アナウンサー」の仕事について調べているとのことで10個+1個の質問に答えさせてもらいました。

自分の30年前を振り返る、貴重な機会になりました。

せっかく全力で答えたので(笑)同じように聴きたい方がいれば、参考になるかなぁと思って、こちらでも紹介します。



Q:主に、はしけい先生がアナウンサーとしてご活躍されていたときのお話をよろしくお願いします。
 
A:沢山の質問、ありがとうございます。私がアナウンサー(記者兼キャスターだった時も含む)だったのは、1991年から2001年までで、今とは状況が違うことも、数多くあるかと思います。ただ、そこにあった「想い」は、今も昔も変わらないと思うので、私なりに当時を思い出して回答します。参考になれば幸いです。
※2013年〜2015年までは、アナウンス室長としてアナウンサーの仕事を見てきましたので最新ではありませんが、その当時の状況も加味して記します

①仕事内容について教えて下さい

地方局のアナウンサーとキー局(在京局 日本テレビ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日など)とは、違いもあると思いますが、地方局のアナウンサーの仕事内容としてご理解ください。
 
アナウンサーの仕事は、多岐にわたります。主には、番組出演とそれに伴うロケ・取材が中心です。担当番組によっては、自ら原稿を書いたり映像を撮ったり(カメラを回したり)、編集まで担当することもあります。自分がメーンで担当する番組以外…例えば、定時ニュースや天気予報などは、シフトで担当します。今は「自動音声」の仕組みなども導入され変わってきていますが、かつては「朝番」=6時出社(朝のニュース・天気担当)と「遅番」=13時出社(夜のニュース・天気担当)に勤務が分かれていました。土日のニュース担当などもシフトで回します。24時間テレビなどの特別番組がある時は、アナウンサーも総出で取り組みます。他にも、番組のナレーション、CMのナレーション、提供読み(この番組は、ご覧のスポンサーの提供でお送りします)なども担当します。また、番組以外では、会社が主催するイベントや試写会などの司会、あるいは小中学校への出前授業などに出向くこともありました。

②この仕事に就いて、どのくらいになりますか?

私がアナウンサー・キャスターとして現場にいたのは、1991年〜2001年です。出産を機に人事異動で、別の部門に異動になりました

③なぜこの仕事を選んだのですか?

小学生のころから、書くことと話すことが大好きで、特に、人前で話すことに抵抗がなく、喜んでもらえるのが嬉しかったからです。「声がいいね」と言われることも多くて、中学生の時に「声」を使った仕事って何があるかな?と考えて、アナウンサーだ!と思いました。
その頃、NHKの桜井洋子さんという方が、夜7時のニュースを担当されていて、女性がひとりでニュースを正しく伝える姿勢が「カッコイイな」と思ったことも覚えています。
自分で取材して、書いて、伝えることを仕事にしたいと、中学生ながら考えたのです。ちなみに、アナウンサー以外には、新聞記者、演出家というのが、私の夢でした。「書いて伝えること」「表現すること」に興味があったのだと思います。

ちょっと横道)
ただ、当時は、身近にアナウンサーの方もいないし、インターネットもなかったので、手掛かりを求めて学校図書館で「アナウンサーになるには」という本を読みました。すると、紹介されていた方のうちの複数の方が「日本大学芸術学部放送学科」の出身と書いてあり、「放送学科」に入れば、アナウンサーになれると思い込みました。
実際、中3の進路面談で「『日大芸術学部放送学科』に入ってアナウンサーになりたいのですが、日大三島に行った方がよいですか?」と担任に聞いたことを覚えています。「私学で学費もかかるし通学も大変だから、自転車で通える公立高校でいいんじゃないか」という助言から、近隣の公立高校に進学し、その後、運よく、日大芸術学部放送学科に、一般入試で進むことになりました。もちろん、この大学に進んだからと言って、アナウンサーになれるわけもなく、実際の入社試験では全国のテレビ局を受験し、50社近く落ちた後に、自分が勤めることになる地元テレビ局に、辛うじて、入社することになりました。運が良かったんだと思います。

④この仕事に就くにはどうしたらいいですか?免許や資格が必要ですか?

アナウンサーになるのに、免許や資格は必要ありません。振り返って、何が必要なのかと考えたら「好奇心」と「体力」でしょうか。また、この年齢になってからも、つくづく思うのですが、誰かに何かを「伝える」という仕事なので「ことば」を磨くことが大事です。
「自分のことば」を持つためには、とにかく、様々な経験を積むことが必要です。自分の体験から生まれる「ことば」は、それがたとえ拙くても、未熟でも、人の心に響きます。
免許や資格は、その経験を裏付けるものとして、あればあったでプラスにはなりますが、絶対ではないかと。

⑤この仕事に就いてよかったと思うことはなんですか?


入社試験で志望動機を聞かれた際に、私は「静岡県民と喜怒哀楽を共にできるアナウンサーになりたい」「それが、私を育んでくれた地元への恩返しになる」と答えました。スポーツ、ニュース、情報番組など、様々な番組に関わりましたが、まずは、取材した皆さんが喜んでくださったり、取材を励みにしてくれた時は、私自身も嬉しく思いました。また、テレビの場合は稀ではありますが、視聴者の方から「感動した」「楽しかった」「面白かった」「こんな事件は2度と起こしてはいけない」などと「心が動いた」と、お手紙などで教えて頂いた時は、この仕事に就いた意味が見いだせた気持ちがしました。
具体的には、ニュース番組で「不妊治療」について特集取材を担当した際に、放送後、視聴者の方から涙ながらに「周囲の方がニュースを見て、私の状況を理解してくれて、初めて優しい声をかけてもらえた」とお電話を頂いたことは、忘れられません。取材に応じてくださった方の思いも含めて、「伝わった」「お役に立てた」と実感する出来事でした。

⑥大変だと思うことはありますか

今はもう、いずれもが良い思い出ですが、私の場合はずばり「体力」があってよかったと振り返って思います。事件や事故、災害は、いつ起こるか分かりません。いつでも現場に駆け付けられるということは、精神的にも肉体的にも、大変ではありました。特に私は、早朝の生放送の番組を長く担当していたので、朝2時集合とか、宿泊や徹夜が続いて、週に1〜2回しか自宅に帰れないことなどもありました。富士山頂での中継や、釣りの番組では日がな1日釣り船で過ごすということも、大変だと言えば大変だったかもしれません。レギュラー番組を持つということは、基本的には替わりの人がいません。やはり、健康を保つということは、とても大変だったと思います。
 
また、伝える仕事なのに「伝わらない」という、自分の力のなさを実感することも多くあり、精神的には、それも大変でした。限られた時間、限られた知識・情報で、必死にやるしかないのですが、テレビで自分の姿をさらして「伝える」ということの責任に、押しつぶされそうになったこともあります。思いがけない批判を受けたこともあります。若かったこともありますが、よく落ち込んで泣いていたなと。

⑦どんな時にやりがいを感じますか

⑤の質問に回答した通り「誰かのお役に立てたかな」と思えた時に、やりがいを感じました。当時はSNSもないので、テレビ放送は、ほぼ一方通行でしたから、視聴者の反応を得られることはほぼなく、どこか手探りでした。そんな時に「元気をもらえた」とか「今日の富士山、素晴らしかったね」とか「静岡にステキな人がいるんだね」などと、番組を見ての感想を教えて頂けた時、それがモティベーションになっていたと思います。
 
また、私自身は、チームで力を合わせて、目標に向かって一緒に番組を作っていくこと自体が好きだったので、中継現場やロケ現場で、お互いに磨き合えることもやりがいでした。ディレクターの熱い思いに応えてチームが一体になること=カメラマンが最高の映像を、音声さんが最高の音をとってくれるから、私も最高の「伝え手」でありたいという思いを持ち続けられたことが、大変な時も私を支えてくれたいたなと、感謝しています。

⑧高校生の時、職業についてどのように考えていましたか?

「『日本大学芸術学部放送学科』に入ったら、アナウンサーになれる」と、ある意味、ステキな勘違いをしていたので、特に他の職業に関心を持つこともなく、全く関係のない部活(弓道部)に熱中していました。ただ、「子どもを持っても、一生働き続ける」ということは、誰に言われるでもなく考えていました。社会に出ると言うことは、自分が最低限生活していくために「稼ぐこと」、自律することだという意識はありました。母親に、幼いころから、そう言い聞かせられていたからかもしれません。

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高校時代は「弓道」に熱中していて、高校生で取得できる「初段」を取る!と、部活に入った時に自分に約束しました。なので、部活動の時間以外も、近所の神社に通って大人に交じって練習したり、親の小言を交わして、高3の秋の昇段試験までこっそり練習するなど、とにかく、決めたことを全うしようと打ち込みました。たとえそれが職業と結びつかなくても、何かに熱中することは、学生時代にしかできないことだと思いますし、実は、当時の経験が、結果、アナウンサーを目指した時も、また、アナウンサーになってからも「あきらめない」という気持ちに結びついている気もします。

⑨私たち「高校生」に対して「気になること」があれば教えてください

昔と今を比較すると、圧倒的に「情報」が多いからか、何にしても、実際に動く前に「出来ない」「私には無理」と可能性を閉じてしまっていないかな?と、時に、心配になります。勿体ないなと思います。誰に遠慮することもなく、自分が「やりたい」と思ったこと、自分が「楽しい」と思ったことには、「やればできる」と自分に言い聞かせて、まず、一歩、挑戦してほしいなと思います。そのためには、自分の思いを、しっかり「ことば」にして伝えていくことが大切です。思いを「ことば」で表現することは、やはり、勇気が必要ですが、言わなかったら、どんなに素晴らしい事でも伝わりません。そして、自分が心から思っていることを、勇気を出して伝えると、その思いを汲んだ周りの人たちが、きっと、応援してくれるはずです。もちろん、上手くいかないこともあるでしょうが、そうしたら次の手を考えればよいのです。
 
中高生、あるいは大学生に今、私がよくお伝えするのは「成功と失敗は反対方向じゃないよ。失敗の先に成功はあるよ。とにかく、やってみよう」ということ。こうして私に質問のリクエストを、勇気を出して送ってくださったように、「やってみよう」を重ねていってほしいと思います。

⑩高校時代にやっておいたほうがいいことはありますか?

⑧の回答でも触れましたが、何でも構わないので、ひとつ何かに夢中になる、打ち込むこと、挑戦してみると良いかと思います。高校時代の私のそれは部活動=弓道でした。素晴らしい成績や全国大会出場などといった成果とは無縁でしたが、ひとつのことを、自分が納得できるまで「やり切る」経験を、探して挑戦してほしいなと思います。勉強でもいいし、部活でもいいし、趣味でもいい。誰かと比較する必要はなく、自分で決めて、自分が納得するところまで、走り切ること。ぜひ、探して、そして、やり切ってください。

⑪進路や職業についてアドバイスをお願いします

時代は、社会は、めまぐるしく変わっていきます。私がテレビ局に入社した時には、原稿はすべて「手書き」でした。携帯電話もなく、仕事柄、ポケベルを持っていることが自慢なくらいでした。(それほど珍しかったんです)

◎◎さんが、社会に出る2年後、あるいは、大学に進学したとしたら6年後は、AIの進化もあって、今は想像もつかないような「未来」が待っているんじゃないかと思います。私は、職業というのは、シンプルに考えると「誰かのお役に立つための役割」だと思っていますが、6年後、変容を遂げた社会では「誰かのお役に立つこと」も、きっと、変わってますよね。私たち大人が経験していない世界を生きていくから、正解も不正解もありません。
自分の心がワクワクすることを徹底的に追求しながら、「これじゃなきゃいけない」と自分を決めつけずに、その時の自分の心に素直に向き合って、様々な選択を楽しんでいってもらえたら、同じ世界に生きる大人として、とても嬉しいです。
 
もちろん、大人の言うことに耳を貸すなと言うことではありません。大人たちの経験も、参考情報として尊重しながら、でも、引きずられることなく、自分の目で耳で、社会の波を確かめながら、進んでいってください。
ずーっと応援しています。


入社2年目から5年間、ズームイン!朝!!担当してました
記者兼キャスターの仕事は、毎日、とてもやりがいを感じていましたね〜

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