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ワンオペ育児希望します。



家事育児ができる夫を持つ我が家の家庭事情について書いてみたいと思います。


今でこそ夫婦で子育てが当たり前の世の中ですが、私がママになりたての10数年ほど前まではスマホもここまで普及してなくてイクメンという言葉がようやくで始めた頃で、今では、イクメンという言葉すらおかしいという風潮ですね。


私は専業主婦で、ある程度子供と私との生活パターンやリズム、生活の癖などが板についていますが

夫は、家事もするし育児もする。
皿も洗うし料理もする。
体力もあるから子供と早起きしレジャーを楽しみ自宅で手作りシュークリームまで作る

もちろん綺麗に洗濯物も畳みながら。

だから私の出る幕はありません。
しかも家事は私とやり方が違うから、お玉の場所、タッパーのしまい方が違うから疲れやすい私がさらに家事に手こずるから余計にシンドイ

私は専業主婦のくせにと言われたらそれまでだが、仕事も持っていないし早起きも苦手
料理もそんなに得意じゃない。
おまけに体力もないからすぐ手一杯になりイライラもする

だから夫から正論で殴られても歯を食いしばって正論というパンチに耐えなくてはなりません。


だがこの体力もあり、子供と早起きし遊びに出かけ料理もする夫には弱者に寄り添うという思いやりや優しさはどうか
持ち合わせているのだろうか

本当に夫が私に諭す事は正論なのだろうか

娘12歳
息子8歳

赤ちゃんの弱かった頃は誰が抱っこしても泣くが母親に抱きしめられていた昔の自分の姿は遠く忘れ
今は母親が慰めようが誰が慰めようが同じである。
むしろ母親みたいに真剣に向き合う存在より
ある程度聞き流すドライな父親の方が良い慰め方かもしれない。


流行りの服を買ってくれるお金を持ち規範とする士業の仕事で社会貢献し、
朝から遊園地を連れて行ってくれる体力のある父親と一緒に過ごす方が好きかもしれない。

私は母親として存在している意味はあるのだろうか

母として
人として
女性として
すっかり生きる意味も無くしてしまっていました。

こんな事を考えるのは仕事を持っていないから卑屈になっているんだろうか

結局は暇なのだろうか

鬱なのだろうか

いいや違う

人の生き方を語るつもりはないが、体力ない人、料理下手な人、鬱な人、歩けない人、病気の人

いろんな人がいていい世界なんだよ

それを体力ある人が
学力ある人が
目標持ってる人が
輝いていて、それが正論に見えてしまっているが
体力なくたって
料理できなくたって
育児や家事だけで手一杯になったって

頑張っていりゃそれが正解なんだよと信じている

母親は父親と比べて頭もわるく
感情が何よりで
体力もなく
料理も下手


だから人として劣っている

そんな価値観には育って欲しくないし、そんな価値観の奴に負けたくはない

体力なく
勉強もできない
料理も上手じゃないしお金もない

そんな私だけど母親という鎧を脱いで
人として負けないようにただ立つだけでも

何かを成し遂げられなくても
生きるだけ

それだけでも自分として間違ってないと言える生き方
それを肯定できる自分は
人として母親として
強くなれる気がする

頑張れ自分💪💪

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