シンガーソングライターとしてひとりの人間として「言葉を考える」
プロレスラーの木村花さんが亡くなったというニュースを見た。
某恋愛リアリティショーの番組に出演されていた方で
ご存知の方も多いだろう。
もちろん、私も視聴していた時期があっただけのいち視聴者に過ぎず。
故人とは面識すらないのだが、
「SNSでの誹謗中傷」を問題視している声が多く上がる。
もちろん、結論から言うと許されざる行為だ。
ただ、ひとりの人が亡くなったことに対しては追悼の意を表するとともに
その後の「手のひら返しに見えなくもない状況」に人の愚かさを感じざるを得ない。
外野がとやかく言うのは正直、どうなんだろうと思いつつも、
私は私なりに言葉のあり方について考えてみたいと思う。
1.「誹謗中傷が悪だ」が伝わるか。
一連の誹謗中傷によって、自らその結末を選ばなきゃいけなくなった。
本人にしか知り得ない、計り知れない辛さや心の傷があったことは想像に難しくない。
※もちろん程度がどうこうとかって話ではない。
こういう話が上がるとみんな取ってつけたように「誹謗中傷は良くない」というという声が上がる。
なぜだろう?
誹謗中傷はそもそもが良くないことなのにどうしてそういうときにしか、注目されないのだろうか。
かくいう私も、そうした一件をきっかけにnoteを書いているから他と変わりないのかもしれない。
ただ、こうした問題は過去にも出ている。
最近で言えば韓国(K-POP)の歌手もSNSでの誹謗中傷が引き金となり、
自らその結末を選んだという話があるのを2件ほど私は知っている。
その時もファンやその意見に賛同する人たちが声をあげた。
きっとそのことは記憶に新しいだろう。
K-POPに興味がある方は知っていると思うが、そのときもまたそれ以外の
韓国のみならず日本にも衝撃が走ったと思う。
※もし、ご存じなかった方は調べて欲しい。そして知ってほしい。
その一件があったにも関わらず、
こうしてまたSNSの誹謗中傷での悲しいニュースが出てしまった。
そのたびに誹謗中傷は悪だということが伝わっていないのではないか。
どれだけいっても私には関係ないという方が少なからずいるのではないか。
ということを思わざるを得ない。
2.情報の認知 -発信側は都合のいい情報しか受け取らない-
なぜ、こうも繰り返されるのか。
それはコミュニティ化が起きているからこそ、自分には関係ないと思う人が増えたからだと思う。
少し、本質からずれるかもしれないが、人間が一度に受け取れる情報というのは限りがある。悲しいことに人間は見えている情報をもとに行動をする。
それにSNSは自分から情報を取捨選択している時点で基本は好きなことの集まりだったりもする。
もちろん今回のように外から情報が入ってくることがある。
そういうこともあり、きっと
好きなことのコミュニティ化
これが起きている気がする。
それが起きていることで何が起きるかというと自分の「好き」や「ポリシー」に反するものを「違う」と攻撃するということが起きる。
それにSNSの怖いところは言わずとしれた匿名性だけでなく、
こうしたコミュニティ化が集団心理を働かせて、集団攻撃が起きやすいという点である。
ここでいう発信側というのはあくまで「誹謗中傷する人たち」ということなのだが、そもそもが自分の中のルールを作っている人が多い。
それこそ、絶対正義。。。
これは少し前に話題になった自粛警察なるものに近しいものを感じている。
3.情報の認知-受信側は都合の悪い情報さえも受け取ってしまう-
それとは反対に受け取る人たちの条件は様々だ。
発信する側は1対1かもしれないが、受け取る側は著名な方ほど1対nになる。
※ここではリプライなどの話をしています。
そうすると必ずほど出てくるのが有名税だなんだって意見。
妬みなんでしょうけどね。
なんとまあ、自分にとって都合のいい言葉を並べられますね。
という話です。
受け取る側にとってはたとえ文字だとしても
言葉の向こうに人がいて、嬉しい言葉だろうが悲しい言葉だろうが
血の通った言葉なわけです。
いくら誹謗中傷する人たちに
あなた達は冷たい言葉を浴びせ続けているといったところで
一言言っただけというのだろう。
しかし、その一言が重なればどうだろう?と考えたことはあるのだろうか。
言葉を受け取る側はあなただけが見えているわけじゃない。
それにリプライ欄というのは意外と悪い言葉のほうが目につくものだ。
もちろん、そのような悪い言葉に反応してしまう方や
そうでない方もいるので一概に言える話ではないのだが
温かい言葉の中に冷たい言葉が目に入る。
周りの言葉と比べて、性質が違うからこそ、目に付きやすい。
そこを狙っている誹謗中傷という行為はとてつもなく悪質だ。
4.言葉は言語ツールだけではない
そんなことを言ってもこういう人がいる。
そんなつもりはなかった。
みたいなね。
いや、随分とあなた優先なんですね。と思います。
言葉ってただの文字列だと思って遊んでいる人達に言いたい。
言葉ってコミュケーションツールなんですよ。
コミュニケーションって双方が理解してやっと1ラリー(やりとり)成立するんですよ。
それを後出しのようにそんなつもりはなかった。とかよく逃げられますね。
自分が発した言葉に責任を持てないのなら、
言葉など、言語など使わないほうが良いかなと思います。
とはいっても、こうしたSNSの場ではラリーが行えているかというのが
どうしても見えにくい。
比較的、クローズドになっている環境なら向き合って対話できるのだろうけどそうではない。
SNSも一度に流せる文字数が決まっているサービスもある。
というのを考えたときに言葉の扱い方は対面以上に気をつけなくてはならない。
5.同じことをしていないか?省みる。
いろいろ言っている私でさえも誹謗中傷はしないが
人にきつくあたってしまったり、あえて厳しく接したりということもある。
また、無意識なうちに相手にとっては余計な一言になっているときだってある。
もちろん、傷ついたとか話してくれる人に対しては改めることができても
何も言わず去って行く人もいる。
でも何も言わず去っていく人にこそ、やってはいけないことをしたのではないか。と考えることもあった。
言葉を使う以上、そんなつもりはなくてもだれかを傷つけていたり、
それとは逆に人の背中を押していたりする。
もちろん、後者であることのほうが、もちろん嬉しい。
ただ、前者の言葉を誤って発していないかというのは常に省みなければならないと思う。
6.言葉を吐き出す/届ける側として思うこと
私は曲や詞も書くし、歌を歌うことで言葉を届けさせて頂く機会がある。
言葉を吐き出すときにはなるべく自分の見たくないところを形にするように心がけていて、逆に歌で言葉を届けるときには私の温度を乗せて
自分の言葉として届けるようにしている。
もちろん、人それぞれ、届く届かないがあるのですべてを図ることは
到底かなわないのだけれど、
それでも私が届けることで意味のある言葉というのはかならずあると思って
言葉と向き合っている。
だからこそ、この言葉を発することで相手にどう伝わるのかというのは考えることもするし、それでも今回のようにはっきりと言ってしまわなければいけないことというときには自分の意見として発している。
SNSも、音楽活動を初めてからハンドルネームは使わなくなった。
もちろん、私を知ってほしいという部分もあるのだが、
私として発するための責任を持つということをするために
ハンドルネームは使わない。と心がけていたりもする。
本来の私として、言葉を発することで放った言葉に責任を持つということをしている。
7.温度のある言葉を届けよう
これまでいろいろ書いたのだが、言葉には思った以上に見えない力がこもる。
それで相手を攻撃することもできてしまえば相手を守ることだってできる。
今回の一件は言葉を刃物として使われてしまった悲しいことではあるが
言葉を使う皆様にはどうか温度のある優しい言葉を届けてもらいたいと切に願う。
冷たい言葉ではなく、誰かに寄り添う温かい温度のある言葉を伝えることが
今の時代の中では特に重要視されるべきなんではないかと思う。
✎筆者プロフィール
橋口竜河 (はしぐちりゅうが)
1996.02.02 生まれ 神奈川県出身
車椅子での生活をしながらシンガーソングライターとして活動している。
《ハートフルシンガーソングライター》として心情に嘘のない歌を歌い続ける。
過去には自主企画ライブを開催し、ライブオーガナイザーとしての経験もある。
配信Single《ガーネット》がApple Musicをはじめとする各種音楽配信サイトにて配信中!!
公式サイトはこちら。