『ダンキラ!!!』源覚心流武術の「覚心」って? 源光国の全肯定精神は仏教由来かもしれない
本日6月13日は少年ダンサー育成ゲーム『ダンキラ!!! - Boys, be DANCING! -』に登場するダンサー・源光国の誕生日。
光国は高校2年生ながら源覚心流武術の師範代としても務めを果たす、尊敬に値する人物だ。
しかし光国に関して、筆者がずっと疑問を抱いていたテーマがある。
源覚心流武術の「覚心」って……なんだ?
『ダンキラ!!!』で初めて目にした言葉だが、意味は辞書に載っていると思っていた。
しかし愛用している電子辞書で「かくしん」を引いても、別の言葉ばかりが出てきてしまう。そもそも造語なのか、それすらわからない。
あまりにも手がかりがなさすぎて一時は考察を断念していたが、せっかくの光国誕生祭。
本気を出して調べまくった結果を、ここに記しておこうと思う。
※このnoteは100%個人の趣味で書いたものであり、公式とは一切関係ありません。
調べてみたら僧侶が出てきた
「覚心」を名に冠する僧侶がいる。
鎌倉時代に活躍した臨済宗の僧侶、心地覚心(しんち かくしん)だ。文献によっては、法燈国師と呼ばれることもある。
鎌倉時代といえば源氏。
心地覚心も、源氏とつながりを感じさせる経歴を持っている。
鎌倉幕府の三代目征夷大将軍・源実朝(みなもとの さねとも)には願性(がんしょう)という家臣がいた。
もともと武士だった願性は実朝が暗殺されたことをきっかけに出家し、僧侶となる。
その後願性は、現在の和歌山県に由良西方寺を創建した。
願性の要請を受け心地覚心が禅宗を伝えたのが、この由良西方寺だ。
現在は興国寺と名を改め、虚無僧(こむそう)の本山としても知られている。
虚無僧とは、深編笠姿で尺八を演奏しながら諸国を巡り、普化宗(ふけしゅう)を広めた一派のこと。
心地覚心は宋で仏教の修行に励んでいたとき坐禅に効果的な呼吸法の一環として尺八を学び、演奏法や奏者を日本に伝えた。
そのため日本における普化宗の元祖としても知られている。
ちなみにこの虚無僧、さまざまな別名を持っている。
たとえば古典の教科書でもおなじみの吉田兼好作・『徒然草』には「ぼろぼろ」という呼び名で登場した。
『ダンキラ!!!』で「ぼろぼろ」といえば、源覚心流武術門下生の霧山おぼろ。特技はオカリナ。
尺八の代わりにオカリナを吹いているのか、と思ってしまった筆者は土の中にでも埋まっていた方がお似合いである。
さて、現在も虚無僧の姿を見ることはできるが、普化宗は1871年に一度解体されている。
1871年は、今から149年前。
そしてダンキラや源覚心流武術が生まれたのは、約150年前といわれている。
もし作中の時間軸を2020年前後だとすると、約150年前は1870年前後。
……解体されて行き場を失った普化宗の人間が集まり、源覚心流武術を確立した説を推してもいいだろうか。
参考
http://www.guruwaka.com/kokokuji/
https://kotobank.jp/word/%E5%BF%83%E5%9C%B0%E8%A6%9A%E5%BF%83-1083145
https://kotobank.jp/word/%E8%99%9A%E7%84%A1%E5%83%A7-66225
武術と仏教の関係
ここまで仏教の話ばかりだったため「武術とつながりがない」と思う方もいるだろう。
しかし仏教と武術には、密接な結びつきがある。
仏教の一派である禅宗は、インド人の達磨大師を開祖としている。
達磨大師は中国を訪れた際、禅宗だけでなくインド古武術のカラリパヤットも伝えたそうだ。
一説によると、カラリパヤットは少林寺拳法、空手、古武道といった東洋武術のもとになったともいわれている。
また、前述した心地覚心の宗派は、禅宗の一派である臨済宗。
鎌倉時代の武士たちに支持された宗派のひとつである。
日本における仏教のはじまりは、平安時代に伝わった真言宗。
しかし真言宗は公家を中心に支持されていた宗派だったため、公家をよく思わない武士たちは改宗する。
新たな宗派として発展させようとしたのが、臨済宗などの禅宗だ。
源氏率いる鎌倉幕府はとくに臨済宗を庇護。京都に建仁寺を開くなど、積極的に広める姿勢を見せていた。
源氏と結びつきのあった臨済宗と、代表的な僧侶である心地覚心。
源覚心流武術の名前の由来として、なんらかの関係があるかもしれない。
参考
http://spijcr.mithila-museum.com/indiajapan/ij60/Kalariyayattu/main.html
https://enenji.jp/rinzaizen
https://enenji.jp/rinzaizen/kamakura
「覚心」とは、心を覚ること
源覚心流武術に仏教とのつながりがあると仮定して、もう少し深堀りしてみたい。
大乗仏教の書物である『大乗起信論』には、以下の一節がある。
「以覚心源、故名究寛覚、不覚心源、故非究竟覚」
(『大乗起信論』より)
“覚心源”、だと……?
上記は『大乗起信論』で「始覚」について述べた箇所。
仏教では、修行の末に初めて悟りを開くことを「始覚」と呼んだ。「覚」は「さとる」と読むこともある。
ところが『大乗起信論』では、修行はあくまでも「始覚」を自覚させるためのものであり、「人はそもそも生まれたときから悟りを開く性質を持っている」と考えていた。これは本覚思想と呼ばれている。
本覚とは「悟りそのもの」を指す言葉だ。
「心源をさとることを究寛覚(究極のさとり)と名付け、心源をさとらなければ究寛覚とはいえない」と、先ほど引用した箇所では述べている。
ここで登場する「心源」は、仏教用語で「心」を表わすときの言葉。
つまり自分の心が何を考えているのか、それを知ることが究極の悟りへ至る道なのだ、と述べているのだろう。
悟りの対義語として迷いが挙げられることもあるが、本覚思想ではこれを区別しない。
むしろ迷いも悟りの一部と考え、現実世界をすべて肯定しようとする。
源覚心流武術の師範代である光国も、あらゆることを肯定し、受け入れていた。
「心源を覚る」と読むこともできる、源覚心流の修行に励んだ成果なのかもしれない。
参考
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%9C%AC%E8%A6%9A%E6%80%9D%E6%83%B3
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