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『ダンキラ!!!』八神創真と指パッチンの関係とは?音と接触から見える自尊感情

本日7月20日は、少年ダンサー育成ゲーム『ダンキラ!!! - Boys, be DANCING! -』に登場する八神創真の誕生日。

『ダンキラ!!!』はダンスの映像はもちろん、ストーリー内で見せるダンサーたちの生き生きとした姿も魅力的だ。
ダンサーひとりひとりの個性を象徴するようなモーションもあり、脚を挙げたり全身で喜びを表現したり頭を抱えたりととにかく動く

中でも創真がよく見せる指パッチンは、印象的な動きのひとつだろう。

指パッチンは正式には「フィンガースナップ」と呼ばれており、音楽では楽器のひとつに数えられることもある。
道具がなくても挑戦できるため、教育現場でも役立てられているという。

指パッチンにはどのような効果があるのか。
興味を引かれて探ってみると、創真が過去に培ったであろう愛が見えてきた。

※このnoteは100%個人の趣味で書いたものであり、公式とは一切関係ないためご了承いただきたい。

指パッチンとは

2本の指をこすり合わせ、勢いよくはじく。刹那、高らかな音が鳴り響く。

「指パッチン」と聞くと、誰もが連想する光景だろう。
一般的には親指と中指を使うようだが、コツをつかめば中指以外でも鳴らすことができるらしい。

音楽とも関係が深く、たとえばフラメンコでは楽器のひとつとして扱われている。
踊り子によって奏でられる、「ピト」と呼ばれる指パッチン。
振り付けとセットになっている場合もあり、カスタネットのように高速で次々と披露されるピトは圧巻だ。

フラメンコは流浪の民であったロマがスペインに居を構えようとした際、パトロンを得るために披露されたダンスが原型となっている。
貧しかったロマは、たとえ楽器がなくとも歌やダンスができるよう、指パッチンをはじめとするボディーパーカッションを取り入れた
そのためフラメンコでは今でも楽器と同様にボディーパーカッションが重宝されている。

ほかにもジャズではリズムをとるために指パッチンをする光景が見られた。
また、ロカビリー調の音楽に乗せて披露されるダンキラ協会公認ワークスの「Heartbeat Blast」でも3人のダンサーが指パッチンをして呼吸を合わせるパートがある。

このように指パッチンは、音と動きで人々を結び付けている。

教育と指パッチン

ところで音楽は、言葉や文化の壁を超える力を持つ。
たとえ意味の分からない言語でも、歌になれば自然と情景を察することができるだろう。
「ナマステ☆ダンシング」を聞くと勝手に身体が動きだしたり口ずさんだりしてしまうのも、きっと音楽の持つ力が心に届いているからだ。

音楽にはさまざまな楽器が使われるが、奏法をマスターするにはかなりの時間と努力を要する。
しかしボディーパーカッションは比較的簡単で、幼い子どもでも音を出すことが可能だ。

実際にボディーパーカッションは世界中で教育に取り入れられている。
日本では1986年に山田俊之氏が身体を使って音を出すことを「ボディーパーカッション」と名付け、小学校の授業に導入した。

目的は子どもたちに自分を好きになってもらうため
これは「自尊感情」とも呼ばれており、「自分はここにいてもいいのだ」「自分は価値のある人間だ」と認識するために必要な力だ。

なぜボディーパーカッションが自尊感情を養うための教材たりえるのか。
鍵となるのは「音」と「接触」の2要素だろう。

たとえば指パッチンをすると、音のした方向に注目が集まる
周囲から気にかけてもらえたことで、子どもは自分を価値ある存在だと思うはずだ。

しかし音だけでは、残念ながら無視されてしまう場合もある。
そこで必要となる要素が「接触」だ。
ひとりで音を発して注目されなかった場合、次にとる行動は手をたたき合うなどの他者と協力して音を出す方法だろう。
音単体ならば無視できても、身体的な接触を伴う場合は無視できなくなる
相手から必ずなんらかの反応が返ってくることで、子どもたちは自尊感情を培っていく。

蓮見(2020)が行った多文化を持つ子どもたちを集めたワークショップでは、ボディーパーカッションを利用した遊びの効果が検証されている。
すると子どもたちは即興的な音楽を奏でる中で、自分の身体や他者の身体を使って音を出そうとした
検証の結果、異なる言語や文化的背景を持つ子どもたちはボディーパーカッションを非言語コミュニケーション手段のひとつとして利用しており、自らの存在や考えを主張する傾向が見られたという。

参考
蓮見絵里「言語的・文化的に多様な背景を持つ子どもたちの音と身体を介した対話 : 自由度の高い協働的な即興演奏の微視的分析」『立教大学教育学科研究年報 63』(2020)
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=19076&item_no=1&page_id=13&block_id=49

創真と養子と指パッチン

さて、ここで創真の実家について思い返してみよう。

家族構成は養父と養母。言わずもがな、創真は養子として八神家に迎え入れられた人間である。
その過去については本編内で明らかになっていないため、あくまで想像の域を出ない。

しかし指パッチンが持つ要素から強いて可能性を提示するのであれば、以下がヒントになるだろう。

・指パッチンは、かつてのロマたちのように貧しい状況でも音を出すことができる。
・複数人で手を叩き合うようなボディーパーカッションは他者からの注目度も高いが、そもそも他者がいなければ成立しない
・指パッチンはひとりきりでも音を奏でることができる
・ボディーパーカッションには、自尊感情を養う力がある。
・音楽やダンスは言語的・文化的背景の壁を超えてコミュニケーションをとる手段。

上記から推測するに、創真は幼少期に貧しい環境にいたのではないだろうか。
創真の誕生日が、ひつじ館で誕生日を決めてもらったメリーパニックの朝日ソラや日向まひるとおなじ「20日」であることを考慮すると、養子となる前はひつじ館にいた可能性も捨てきれない。

言語的・文化的背景の異なる子どもたちと打ち解けたいと思ったとき、指パッチンがかなりの注目を集めたであろうことは想像がつく。次第に協力してボディーパーカッションを楽しんだこともあっただろう。
指パッチンなどを用いた非言語コミュニケーションによって自尊感情が養われ、「自分は存在していてもいいのだ」と愛を培ったのかもしれない。

「自分のことを見てほしい」と思ったとき、子どもたちは音を鳴らす。
貧富の差や他者の有無、そして文化的背景にかかわらず音を出せる指パッチンは、創真にとってダンキラを知る前から染みついていた自己表現の原点だったのかもしれない。

果樹園の養父母が教えてくれたのか、はたまたそれより前に教わったのかは不明だ。しかし創真にとって指パッチンが癖になっていることは間違いないだろう。

愛をもらい、愛を伝えるための手段として、創真は今日も紅鶴学園で指を鳴らしているのかもしれない。

参考:
濱田吾愛『物語で読むフラメンコ入門』ショパン(2010年)
https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E5%B0%8A%E6%84%9F%E6%83%85-178783
https://www.meijitosho.co.jp/eduzine/bodyp/?id=20120517
https://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai//campuslife/teaching_profession/pdf/03/03.pdf
https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=19076&file_id=18&file_no=1

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