「チューリップが綺麗だったので、おすそわけです」
誰かが落ち込んでいたら、そしてその人の気持ちに寄り添いたかったら、そのとき自分には何ができるのだろうか。
「大丈夫?」「どうしたの?」と声をかける?
「飲みに行こう」「遊びに行こう」と気晴らしを提案する?
向こうから求められるまでそっと見守る?
これらは相手の状態や自分との関係性を見極めないと逆効果になりうるため、とても難しい判断であると思う。
まして特段親しくない相手であれば、なおのことだ。
4月初頭、自分は焦っていた。
「何者でもなくなった」状態から脱却すべく、躍起になって仕事を探し、資格の取得方法を調べ、専門学校の資料の取り寄せなんてこともやっていた。
また学校に行くお金なんてないのに、そんな現実も見えなくなるほど、「(何者かになるために)何かしなくては」という衝動に駆られていたのである。
そんな中、一通のメールが届く。
それは先月卒業した大学の指導教員からのもので、「卒業式の際に撮影した写真を共有します」といったシンプルな内容であった。
なぜか涙が止まらなかった。
あんなに泣くだろうと覚悟していた卒業式当日は泣かなかったのに、ぼろぼろとこぼれた涙がスマホに落ちて、慌てて拭った。
最高に幸せだったあの日の写真と、ずっと支えてくださった先生からの言葉に、いつからかピンと張っていた緊張の糸が弛んだのだと思う。
涙を拭いながら、先生にお返事をした。
写真を共有してくださったことに対する感謝の言葉。
進路がうまく定まらないという報告。
先生のメールを見て泣いてしまった事実。
それはきっと、自分が不安だったからだということ———
そして送信したのちに気がついた。
先生からのメールはゼミ生全員に送られたものであり、自分はそれに返信をしたため、宛先にCCで他のゼミ生のメールアドレスも含まれていたということに。
やばい。他の子たちに泣いたことがバレた。
とてもADHDらしい不注意なオチがついた。
めちゃくちゃ恥ずかしかった。
オチがついたと書いたが、話は冒頭に戻る。
その後他のゼミ生には追って、「見なかったことにしてください」というような取り繕うメールをした。
先生以外に弱みを見せるのがただただ恥ずかしかったからだ。
そんな中、ゼミの同期の一人からメールが送られてきた。
その内容は、一面満開のチューリップの写真と「道に咲いていたチューリップが綺麗だったので、おすそわけです」という飾らない一言だった。
その同期と話したことがあるのはほんの数回で、ゼミのときと、卒業式の日にテンションが上がったノリでいっしょに写真を撮ったくらい。
お互いの連絡先も交換していないため、ふだんからメッセージをやりとりするようなこともない。
したがって、その程度の関係の人間である自分に対してわざわざメールを送ってくれたのは、自分の誤送信したメールから見出せる「弱さ」に寄り添おうとしてくれたからなのではないだろうか。
連絡先だって知らないのだから、わざわざゼミのメーリスから自分のメールアドレスを探してくれたのだろう。
何だってLINEで連絡できちゃう時代/世代なのに、である。
その気持ちや手間を考えるだけでもう、うれしいやらありがたいやらでいっぱいであったのだが、それと同じくらい感情を揺さぶられたのがそのメールの内容であった。
冒頭で問うたように、他人の「弱さ」に寄り添おうとしたとき、人はどうするのか。
ここにおける同期の答えが、「チューリップの"おすそわけ"」だったのだろう。
小粋、あまりにも小粋である。
素敵に思ったものを共有してくれるということからは、あたたかな"つながり"を感じられる。
そして、あまり関係性の深くない相手に対して押しつけがましくなく、かつ「あなたのことを気にかけているよ」というメッセージを送ることができる。
(もちろんチューリップ自体も綺麗だった)
あなたが"おすそわけ"してくれたチューリップのようには咲けないけれど、美しいチューリップと素敵なあなたの気持ちとを素直に受け止められるような、そんな自分でありたいと思った。
人の感情は他人からはわからない。
その人の負う苦しみや辛さも体験することはできない。
どんなに大切に思っている相手であっても、それは同じことである。
しかし反対に、特別距離の近い相手でなくても、「弱さ」を感じとれば寄り添うことはできる。
そしてそれは特別な言葉や行為ではなく、ほんの一言が魔法のようにはたらくことがある。
ピンク色のじゅうたんみたいに咲き並んだチューリップの魔法にかかりながら、そんなことを考えた。
おしまい。
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【補足】
どうでもよいですが、実際に送ってくれた写真を使用してよいか許可をとる勇気がでなかったので、ヘッダーのチューリップは自分で撮影したものです。
時候柄遠出はできませんが、近所をお散歩していると色とりどりの花が咲いていて、よい季節だなぁと感じる今日この頃です。