しじみのおしる
九月、一緒に暮らしているパートナーが旅に出た。
彼は神奈川生まれ神奈川育ちのフィリピン人で、人生で合計1ヶ月も滞在したことがないフィリピンのことは、あまりよく知らないという。
そんな「知らないふるさと」を浴びに、彼は1ヶ月フィリピンに滞在する。
その間、私は日本で留守番だ。
二人暮らしを始めて四ヶ月。
制作と、仕事と、ニューヤンキーノタムロバと、パートナーと二人で生活をすること。八月はこの四つのバランスがうまくとれずに苦しかった。
だからそのなかの1ピースである「パートナーと二人で生活をする」をちょっぴりお休みできることに、正直ホッとしている自分もいた。
出発の前日。
二人で一緒にカレーをつくった。彼はカレーと並行して、優しい味のしじみのお汁も作ってくれた。
出発の日、彼は朝早くに家を出た。
彼を見送った私はベッドに戻ってお昼頃まで二度寝をして、最近の寝不足を取り戻した。
久しぶりの一人暮らし (といってもシェアハウスなので、一歩部屋を出ればシェアメイトたちはいるのだが)も悪くないなと思いながら、彼が作ってくれたしじみのおしるを温める。
お鍋ごと火にかけたら、温まるまでに思っていたよりも時間がかかった。
あぁ、たくさん、たくさん作っていってくれたんだ。
料理の苦手な私が、今日も美味しいお汁を好きなだけ食べられるように。
そのことに気が付いて初めて、彼の不在を全身で認識した。
本当に旅に出たんだなぁ、と。
それから1ヶ月の間、1人で過ごす日常のそこかしこに、彼の不在が存在していた。
いつもより溜まるのが遅いカゴの中の洗濯物
濡れていないユニットバスの床
シャワーを浴びずにベッドにダイブしても、怒る人がいないこと。
そんな風に快適さを感じたことも多いけれど、気付いた頃には、いつもピカピカだったキッチンのシンクから輝きが消えていた。
私は、文章を書くことと野球ボールを飛ばすこと以外、この世のほとんどすべてのことが得意ではない。生活力なんてものはお母さんの子宮に置いてきてしまった。そんな私が穏やかで心地よい人間らしい生活が送れていたのは、私の苦手を包み込んでくれて、私のためにしじみのおしるをたっぷり作ってくれる、あの人が一緒にいてくれたからだ。
そんな人と一緒に暮らせていること、いないことを寂しいと思える人がいること、誰かの帰りを楽しみに待っていること。
これまで恋人という恋人がいない人生を送ってきて、独りにすっかり慣れきっていたから、そんな風に思う自分には、まだ、慣れていない。そしてだからこそ、周りから見たら何のおもしろみもないこんな日常を、書き留めておかねばならないような気がしている。
錆びついたシンクを見ながら、彼の不在を愛おしく思う。
帰国した日くらいは、私が拙い料理をつくって、彼のことを迎えよう。
そう思いながら、シャワーを浴びずにベッドにダイブした。
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