ニューヤンキーになったワケ
私は横浜にある一風変わったシェアハウス「ニューヤンキーノタムロバ」に住んでいる。「入居者のクリエイティブ最大化」をコンセプトに据えており、入居できるのは1年限定。何月に入居しても、翌年の3月には全員で退去しなければならないというおもしろいルールがある。
この1年というのがミソで、限られた時間のなかで全力で人生を好転させたいと願う人たちが集まってくる。例に漏れず、私もその一人だ。
そんな一風変わったこのシェアハウスは、選考を突破したメンバーだけが入居することができる。選考は書類審査と面接の2段階で行われ、なぜニューヤンキーノタムロバに住みたいのか、この1年で自分とどう向き合いたいのかを問われる。
絶対にこのシェアハウスに入居したかった私は、書類審査でありったけの思いをぶちまけた。せっかくなのでその際に提出した文章をここに残しておこうと思う。
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入居を希望する理由
私は新卒で入社したテレビの制作会社で、オーバーワークで心身のバランスを崩しました。結果的に半年でその会社を退社し、自分の好きな「書くこと」でご飯を食べれる人間になろうと腹を括りました。それが2021年の10月のことです。
それからの2年半は、「書くことで生活を維持する」ためにとにかく必死に働きました。お話を頂いた仕事はほとんど断ることなくやらせてもらったし、3ヶ月間ほぼ休みなく働いた時期もありました。ライターとして働き始めた頃はとにかくお金がなかったけれど、2年目を迎えたあたりから不自由ない暮らしができるようになりました。
でもそれは文章を書き続ける自転車操業のうえに成り立っている生活で、だから私は止まることができなくなっていました。「仕事が大変」という気持ちを「書くことで生活を維持できている嬉しさ」がずっと上回っていたからここまで走り続けてきたけれど、私の人生ってこれで良かったんだっけ?私にはもっと書きたいものがあるんじゃなかったっけ?やっと疑問を持つことができたのは、ライター生活3年目を迎えた2023年の秋頃でした。
というのも2023年の私は、新年を迎えるときに「今年は仕事をさらに軌道に乗せたうえで、自分の小説を綴った短編集を作ろう」と目標を立てていました。けれど仕事に追われる日々のなか一向に手を付けることができず、「あ、これ今年作るの無理じゃん」。秋になる頃にそう気付いてしまいました。
自分のやりたいことをやるためには何かを変えなければいけない。そう思って、2024年度は少し仕事を減らしてみようかなと考えるようになりました。けれどそれだけで良いのだろうか。それだけで本当に、私は私のやりたいことと向き合えるのだろうか。そんな釈然としない思いを抱えながら過ごしていた2024年の3月に、あるインタビュー取材を担当することになりました。
YADOKARIの共同代表であるさわだいっせいさんを含む3人の鼎談形式の取材で、さわださんが「コンフォートゾーンを超える」ことについてお話をしていました。YADOKARIとお仕事をさせていただくなかで何度も耳にしたことのある言葉だったけれど、その日はその言葉がなぜだか自分の奥深くに入ってきたような感覚がありました。
ライターの仕事も、フリーランスという働き方も、初めての一人暮らしも、この3年自分の未熟さに何度も打ちのめされたけれど、がむしゃらに続けているうちに気付けば「コンフォートゾーン」になっていたのだと思います。自分の本当にやりたいことをやるために、そしてなりたい自分になるために、私は必死で作り上げた今のコンフォートゾーンを超えなければいけない。そう思ったときに頭に浮かんだのが、ニューヤンキーノタムロバでした。
タムロバができた当初からコンセプトには共鳴していたけれど、自分は他人と共同生活をするなんて絶対に無理だと諦めていました。けれどその「絶対に無理」の先でしか見えない景色があるのだとしたら、私はそこに行かなければいけない。とても感覚的な話になってしまうのですが、この鼎談を終えた日の夜にそう感じ、タムロバへの挑戦を決意しました。
あなたの成し遂げたい夢や、入居の1年で挑戦したいこと、卒業後にどうなっていたいかについて教えてください。
私は、言葉を書くのが好きな子どもでした。手先が不器用でお絵描きや折り紙が得意ではなかったから、他の友達がそういうことをしている時、私は覚えたての文字を紙に書いて遊んでいました。小学生になってもそれは変わらず、高学年になる頃にはノートにオリジナルの小説を書くのが何よりも活き活きできる時間だだだことを覚えています。
中学時代は、今のところ私の人生において1番辛かった時期で、クラスや部活でいじめを受けたり、近しい親戚が自ら命を絶ったりしました。ギリギリの精神状態でなんとか息をしている毎日のなか、私を支えてくれたのはAqua Timezというバンドの楽曲でした。
ヴォーカルの太志が紡ぐ歌詞は、励ますでもなく背中を押すでもなく、私と一緒にしゃがみ込んで、静かに、けれど力強く寄り添ってくれました。太志が言葉を紡いでいなければ、そしてその言葉を彼らが音に乗せて届けてくれなければ、私はきっと私として生きることを放棄していたと思います。そんな彼らへの敬愛はいつしか、「私も太志のように自分の言葉でしゃがみ込んでいる誰かに寄り添いたい」という夢になりました。
その軸はずっと変わらずに今日まで生きてきたものの、大人として「生計を立てること」に追われ、本当に書きたいものを後回しにしていました。ありがたいことに自分の大好きな「書くこと」で生計を立てられるようになったけれど、私にはもっと他に書かなければならないことがある。
とはいえどれだけ強い思いがあっても、思っているだけでは夢は叶わない。本気で夢を現実にするためには、私は何かを大きく変えなければならない。そう思って、タムロバへの入居を決めました。
この1年はコンフォートゾーンを超えて、自分の本当に書きたいものを燃え尽きるまで書き続けようと思います。そして1年後には、ライターではなく「作家です」と胸を張って言える自分になって、タムロバを卒業します。
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