「取り引き先のシェアハウス」が「私の家」になった話
私が初めてニューヤンキーノタムロバを訪れたのは、今から2年前。2022年春のことだった。
ニューヤンキーノタムロバことタムロバは、長年お仕事をご一緒させていただいているYADOKARI株式会社が運営を始めたシェアハウスで、私はYADOKARIの代表2人、ビルオーナーである泰有社の伊藤さん、1期生として暮らし始めたばかりの中谷優希さんとダバンテスさん5人のインタビュー取材を行った。
あれから2年が経ち、「取引先が運営するシェアハウス」は「私の家」になった。
「取材先」として緊張感を持って訪れていた場所だったから、最初はリビングでくつろぐことに抵抗があったし、出入りする度に「お邪魔します」と言わずにはいられなかった。
ソワソワしながら荷物を搬入しにタムロバを足を運んだある日、共有スペースで作業をしていたまゆちゃんが、笑顔で「おかえり」と迎えてくれた。
あぁ、ここは私の家になったんだ。
まゆちゃんのおかえりがストンと私の真ん中に届いて、そんな自覚がじんわりと身体中に染み込んでいった。
「私の家」になったタムロバで、私はきちんと自分の夢に挑みたいと思っている。いや、夢を叶えようと思っている。
自分の好きな「文章を書くこと」で生活ができるようになって、それは本当にこの上なくありがたく幸せなことだけれど、「ライター」としてがむしゃらに働き続けてきたこの数年は、自分のなかから芽吹いた言葉や物語を紡ぐことはほとんどできていなかった。
そして私は、そんな自分が許せなかった。
実は1月に作っていたこのアカウントも、投稿したい投稿したいと言いながら気付けば5月になっている。
何かを変えなければ。
そう思ったときにとある鼎談の取材をして、そのなかで「コンフォートゾーンを超える」という話を聞いた。
次の私がやるべきことはこれだと思った。
そんな思いでタムロバに住み始めて2日目の朝。部屋の扉を開けたら、目の前には隣の部屋の住人の作業スペースがあって、廊下では朝からものすごい集中力で絵を描いてる住人がいる。
そんな光景を目にしてしまったら、私も書きたくてたまらなくなった。
引っ越しの荷解きを1日で終わらせ、今の時刻は深夜1時半。やっと、自分の言葉を自由に書くことができた。
誰もいないリビングで控えめに響く静音キーボードの音が愛おしい。この1年、この家で私は書いて書いて書きまくる。その先には、どんな未来が待っているのだろう。
このnoteでは、仕事や制作のはしやすめに、自由に適当に、書きたいことを書いていくつもりだ。そしてそんな風に気ままに書き連ねた言葉たちが、読んでくれた誰かのはしやすめになったら、それはとってもはっぴーだなと思う。
「私の家」から巣立つとき、ライターではなく「作家です」と答えている自分を夢見て、新らしい家での2度目の夜を終わりにする。
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この文章を書いていたのは2024年5月7日。これからこんな風に、書き溜めていたたくさんの言葉たちを少しずつ発信していこうと思う。日常のはしやすめに、時折のぞいてくれたらとても嬉しいです。
▼ニューヤンキーノタムロバに入居した理由をがっつり書いてる記事はこちら
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