ゾーンに入る体験、最高のX

一年間の講座を終えてのふりかえり

発表を終えて

先週まで、早く終わってくれないかな、大変だし、
なんて言っていたが、
終わってみると、なんといったものか。よくわからない。

一番近いのは、いい映画を見たあとのような爽快感だ。
(The First SLAM DUNKとかね)
余韻に浸っている。つまり感動したといっていい。
何にか?Xデザイン学校での体験すなわちXに、である。

ゾーン = 最高のUX

2/12のオフィスアワーにて、浅野先生から
「ゾーンに入ることこそ最高のUX」
と教わった。

そして、発表直前の1週間、特に金曜夜から発表までの私は確かにゾーンに入っていた。
発表に今のチームのすべてをぶつけることのみを考えていた。
集中していた。

内容の詰めは甘いことは認識していたのだけど、でもあれが今のすべてだ。
それはやれたと思っている。

チームでの協働の中で、ゾーンに入る体験。これこそが私にとって、Xデザイン学校の最高のXだった。

学びと変化

学びとは変化
非常に学びがあったと思っている。
なぜなら、私は自分の変化に驚いているからだ。
ここ数年、社内のアレコレの軋轢の中で、ションボリしてしまうことが多かった。
何もかも全然うまくいかないし、仲間は会社をやめてしまうし、自分の意見も正しいのかどうかわからない。
ただし何故だか期待はされている、結果を求められるポジションにいる。
つらくて仕方なかった。

だが、今は武器がある。UXDという武器が。
正直武器の使い方に習熟しているとはいいがたいが、武器の収納場所くらいはわかっている。
あとは取り出して使うだけだ。
初めて棒を持った原始人のように。なりふり構わずに。
そして自分の意見が正しくないのは当たり前なんだ。
正しいのかどうかはリサーチを繰り返して解決する。
それを学んだとき、一気に視界が開けて前向きになった。

事実、Xデザイン学校の講座を受け始めて、なぜだか急に仕事がうまくいくようになった気がする。実務で活用できているとはいいがたいし、気のせいかもしれないけど、そんな気がする。
少なくとも前向きだ。
会社では偉そうに、「ヒアリング結果をうのみにするんじゃなくて、抽象化して上位のニーズとして整理しようぜ」なんて言っている。
この感じをみんなに広めたら、もっとうまくいく実感がある。

センスについて

抽象化して分析するにはセンスが必要
センスについて、
「センスとはそいつの人生すべて・人生の移動距離の長さ」
「人間に対する深い理解そのもの」
ということかと理解した。
「私ってセンス無いですから」と言い訳するヤツは
「価値のない人間です」と言っているに等しいのだろう。
人生をかけて、努力で磨くのがセンスなのだと理解した。

ひるがえって、私は、うまくいかないことに思い悩んでいたが、
そんなことはどうでもいいと思うようになった。
うまくいかない体験だって、センスを磨く修行なのだ。
そして、たぶん、成功するために人生はあるのではない
(もちろん成功するに越したことはないけど)
体験するために人生はあるんだ。
人生はX。
そしてほかの誰かにより良いXを届けるために、センスを磨くのだ。
全身全霊を使って。

これは私の子供が生まれたときの感情に似ている。
そのとき、私は、私の命はこの子につなぐためにあったのだ、と思った。
私の楽しかったりつらかったり、いろいろなXも、他の誰かのXのためにあったのだ。
そのXの量と質が、センスなのだ。

チームについて

今までの私は、どちらかというと唯我独尊というか
自分の力だけを頼んでいるタイプだった。
だが、そんな私も講座のグループワークを通して、
チームの力を思い知った。

特に、リーダーの雰囲気でチームはエンパワーメントされるということ。
楽しく・明るく、でも率直に・忌憚なく、戦うところは戦う。
発表のクオリティについては、最後まで至らないところはあったにせよ、
議論を重ねて少しずつよくなっていったと思う。

何せリフレクションで
「最終発表の自己評価」にチーム全員が「できた」と回答しているのは、
わがBチームだけだ。
実際のビジネスには程遠いロールプレイというおままごとかもしれないけど
このチームでやれたことが私の誇りだし、とても楽しかった。

最終発表の日はトラブルがあり、メンバーの担当パートの発表を代打することになったが、
そんなトラブルも、美しい物語の1ページのようだ。

余談だが、
年功序列で私がリーダーを引き受けなくて本当に良かったと思う。
私では到底この明るい雰囲気のチームは作れなかっただろう。

人生には師匠が必要

と、ここまで情緒的な文章を書いてしまっているが、
(酒を飲みながら書いているからかもしれない)
あんまりそればっかりだと、なんとなくブラック企業の研修みたいで、
かえってXデザイン学校の営業妨害になっては悪いな、
という思いがあったりする。
だが、今はそういうテンションなのだ。回顧型ではない生の感情だ。

こういう感情になるのは、浅野先生のUXデザインなんだったりして、と疑っている。
裏ミッションは教育の宗教化と言うてはったしな。たぶんそうだ。

安藤昌也先生風に言うと、
私はXデザイン学校を人に勧める場合、今のカンジだと
「お前、人間が変わるよ!」とかいうかもしれない。
宗教じみていて引かれそうだが、私にはそういう感覚をもたらしている。
でもそれが私のXなので仕方ない。
やる気とちょっとの美意識がある奴がハマる謎の魔法がかけられているのかもしれない。

何より、この講座を通しては、
技術的なことはもちろん前述のとおり実務に役に立つ形で学んだが、
それよりも私には、浅野先生の、その哲学のようなものが心に刻まれた。
「欲しいものを聞くのではなく、じっと対象を観察して、その期待を上回るものを提供するのがUXデザイナー 僕らはそういう人間になろうと努力している」
「現代では、かっこわるいことが素敵」
惚れ惚れするような金言は数えればきりがない。
私もそうなりたい。

浅野先生、私は勝手に師匠と呼びますからね。

最後に、
チームの皆さん、浅野先生、川田さん、他のチームの皆さん、1年間ありがとうございました。

(以下、どうでもいいこと)
※ここまで、講座のnoteを書いては見たものの
公開するのにモジモジ逡巡していたりするうちに公開のタイミングを失ってしまっていた。もったいない。さっき大昔に下書きで残していたのを2回分(#1と#4)公開したので、暇な人は見ていただけると幸いです。特に私にとって1回目の感想と今のカンジは隔世の感があります。とりあえず書いといてよかった。でももっと書いとけばよかった。

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