感想文「機動戦士ガンダム 水星の魔女」(第1期)
動機
弊社に入社する際は、社長面接にて
「ガンダム好き?」と聞かれるという伝説がある。
伝説の真偽は定かではないが、
社長がガンダム好きであることは定かだ。
もし私が入社する時に聞かれていたら、正直さが売りの私としては
「見たことがありません」と答えることになっただろうし、
そうなると、ここにいなかったかもしれない。
今回、多少は政治的な目論見もあり、新作を見てみよう、というところ。
経過
Prologue~3話
見始めるにあたり、
社長からPrologue見ないと始まらん、としっかりアドバイスを受けた。
Prologueは子供が戦争に巻き込まれるのは残酷で辛かったなあ~という感想。
あとは、私もPrologueの意味がわかっていないのかもしれない。
一周見てみたら意味がわかるのかしら。
また、Prologueはオープニング・エンディングなし。
初めてYOASOBIのオープニングテーマが流れるのは1話のラストということで、
なかなか「始まった感じ」がしなかった。
ここへきて、私はOPとEDを見るためにアニメをみているのだな、とわかった。
決して正しい鑑賞の仕方ではないことは承知している。
第3話のタイトルは「グエルのプライド」これは面白くなさそうなタイトルだあ~ と思っていたが
ラストでは主人公の心情とシンクロしてしまった。
事実、モラハラ男然としたこの男が出てきたときからお話にスパイスが利いてきたようにも感じる。
でもなんかこの人もかわいそうな人のように感じる。今後の展開に期待。
ところで、【面白そうなタイトル】の例は、「最後のシ者」ではないでしょうか。
4話~10話
OPテーマ曲の不穏なリフレインこそ、この作品の雰囲気だと思っているがどうか。
期待の彼は未だ全然活躍しない。肩透かしだし咬ませ犬だし。なんだそれ。ここから印象が変わると面白いと感じると思う。
ところで私は「決闘」みたいなのがカジュアルにあつかわれていることは違和感がある。
10話ではそのことを作中で「決闘遊び」みたいな言い方で下に見ているが、
この作品においては、その違和感、すなわちカジュアルとシリアスの落差がポイントなのかもしれない。
なお私が違和感を持つというか嫌いなのは、女の子同士が大剣を振り回して戦うみたいな作品です。
(具体的にコレってのは思い浮かびませんが)
とにかく、戦いを何だと思っているのか。
11話,12話
すべてを理解した。
「残酷に対するイノセンス」の違和感こそが提示されたテーマであり、
この違和感を伴う逸脱がどこからもたらされたものなのか、
というのが今後の展開でどう説明されるのか。
この逸脱が、社会が本人に与える影響としてもたらしたものならば、
社会問題の解決が物語の目的となろう。
しかし、ここまでの語りでは、本人の資質に由来しているように読める。
要はその逸脱こそが「魔女」と冠される所以のように感じる。
しからば、物語の目的の達成は本人の成長・あるいは変化をどう描くか、ということになるが、
ここにきて、本人の心にとって、「常識への強制」は
どういう意味を持つのか?と考えてしまう
何がハッピーエンドなのか、全然見えないという意味で今後が楽しみ。
ところで期待していた彼は最後までひたすらかわいそうだ。ここも描き切ってほしい。
その他
上で言っている、「物語の目的」は
「セントラルクエスチョン」というらしい。
セントラルクエスチョンについて
https://twitter.com/game_sennin/status/1613397110866718727?s=46&t=1GllDkyRICPN63Y2vcDAwA
総括
テーマを理解したところで第1期が終わった。
ガンダムはやはり、「戦争」の話なのだな、と。
第2期が始まり、衝撃的な設定が明かされたりしているが、
今この記事(経過)を読み返すと、その当時の生の感情はそれはそれで面白いな、と思っている。
いまは、「本人の成長・変化」に関しては、「母親からの離脱」として描かれるのではないかという予感を持っている。
あとは、この作品を見た後、自分の好みが割と分かった気がした。
お話の経過よりも、むしろ演出に興味があるし、
オープニング・エンディングに関する興味の比重が思ったよりも大きい。
そしてテーマみたいなのを考えることに気を取られすぎている。
おわり
あとはグエル君。2期で彼活躍してくれんかな~
打ちひしがれた男の再起は興味あるテーマなんだよね。
記事の基本スタンス