わたしのすきなひとへ
私の好きな人。その人にしか出来ないことを息をするように身軽にやる人。
自分の時間を本当に本当に大事にして、無駄遣いしない人。
そんな人のことを好きになる星のもとにうまれてしまってはや数十年。
これ、このヘキは、私のコンプレックス、呪いの反作用的なことなんだなとようやく気づくことが出来た気がする。
自分しかできない、自分がパイオニアみたいな分野でここだけは誰にも負けない、ここだけは、ここに割く時間だけは愛してる人にだって、ましてやただの知り合いにはあげられないぞって人。
ぞんざいな扱いをされると、20代前半の頃のわたしはなんだかとても痺れてしまって、そのヒリヒリ感を私ももっと何かを頑張らなきゃという言葉にしづらい独特の焦燥感に変えてたりしてた。
焦燥感はパーソナルトレーニングへ駆り出したり、住む環境を変えさせたり、転職させたり。
わたしはなにも生み出せないんだから、せめて何かを変化させなきゃ。
他人付の動機で動いて得たものは、もはやわたしの一部になって。一部になってしまうともっと別のものを摂取しないと憧れの人たちみたいにはなれないとまた焦ってしまう。
わたしにはこだわりやこの分野は負けない!というところもない。なんとなく生きてることが楽しい。ふわふわ生きてても周りのみんなは優しい。生きていきやすい。その分尖ったところもなく、際立った武器もない。わたしの代わりは誰かがすぐに出来る。
わたしにしか出来ないものはなにもない。
それがコンプレックスだったんだと、言語化するのに、30年もかかってしまった。
電話でも、遊ぶのでも憧れの人たちの時間をもらえるわたしは特別な人間なんだ〜ってきっと意識のどこかにあった、し、今もある。浅ましい。
少しずつ今の気持ちを言葉にできるようにしたい。自尊心をとりもどしたい。わたしのことを上手に使う彼や彼女。君たちのことを、どうでもいい、身軽に付き合うことができる人間としてわたしも同じようにあつかってやりたい。
次会う時には難しいかもしれないけど。そのうち。いつか。
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