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「言葉にできる」は武器になる を読み返しながら、コミュニケーション能力について考えたメモ

「言葉にできる」は武器になるを3年ぶりに読み返してみた。

おそらく3年前に読んだ時には気づけなかったことがいくつかあったので、自分用にメモとして残しておく。

特に「コミュニケーション能力」について自分なりの定義が腹落ちしたのが、個人的な収穫。

「内なる言葉」という概念が本書のコア

その前に、本書のおさらい。キーワードは「内なる言葉」。以下引用を残しておく。

言葉には会話やメールなどで使っている「外に向かう言葉」と、物事を考えるために無意識に使っている「内なる言葉」が存在している。
  
言葉というと、つい、コミュニケーションをするための道具である「外に向かう言葉」に意識が向きがちだが、もう一方の「内なる言葉」を豊かにする、強化することこそが、言葉を磨くために重要となる。  

この「内なる言葉」とは、人が物事を考える時に頭の中で使っている言葉であり、考えを進める、広げる、深める、といったあらゆる側面で機能する。  
頭の中がもやもやしている状態は、この内なる言葉が溢れて頭の中が一杯になってしまっている状態と言い換えることができる。そこで、物事を考えていることを内なる言葉を発していると捉えることで、自分の頭の中で何が起きているのかを客観的に把握できるようになる。

「内なる言葉」が豊かになることは、「外に向かう言葉」のタネが充実していくことを意味している。つまり、内なる言葉を育てることで、自然と外に向かう言葉は磨かれていくのだ。  

逆説的に言えば、内なる言葉の強化なくして、外に向かう言葉を磨くことはできない。なぜなら、言葉は思考の上澄みでしかないからである。

「言葉」⇔「思考や感情」という2層で理解していたが、「内なる言葉」という概念が加わることで、

「外に向かう言葉」⇔「内なる言葉」⇔「言葉にならない漠然とした思考や感情」という3つの層になり、思考や感情をの一部を客観視できるようになる。

「内なる言葉の解像度を高める」

おさらい2。内なる言葉には、解像度がある。

内なる言葉の解像度が低い場合、思考や感情は漠然としており、自分自身が今何を感じているのか、考えているのかを正確に把握できていない状態にある。  

一方、内なる言葉の解像度が高いほど、何を考えているかや、何をしたいかが鮮明になる。つまり、話す、書く、打つなどして発信しようとしている内容を把握できていると言える。  

内なる言葉の解像度とは、自分の頭の中をどれだけ把握できているかという指標でもあるのだ。  

例えば、「うれしい」「悲しい」「楽しい」といった感情が単純化されたままになっている時点では、解像度が低い状態である。「うれしい」「悲しい」「楽しい」で留めることなく、内なる言葉を手がかりに、感情の根源へと踏み込んでいくことが、解像度を高めることにつながる。  

こうした内なる言葉の幅と奥行きを広げていくことこそが、内なる言葉の解像度を上げ、外に向かう言葉に力を与えることに寄与するのだ。

10年以上前に、ツイッターが出始めの頃、自分の今の気持ちをツイートしようというツールだということでつぶやいてみたら、「つかれた」「今日は寒い」「腹減ってきた」「ヤバい」くらいしか出てこなくて愕然とした経験はないだろうか。(私には、ある。)

この状態が、解像度の低い内なる言葉、をそのまんま外に向かう言葉として出してしまった(ちょっと残念な)例。

この解像度を上げていくことが、外に向かう言葉を強くするために必要で、その思考サイクルが書かれているのが本書になる。詳しいプロセスは本書を読んでほしい。(「言葉にできる」は武器になる

ここまでが、本書のざっくりとした内容で、ここからが、個人的な気付きになる。まだまとまっていないメモレベルのものもあるのはご愛嬌。

コミュニケーション能力とは「外に向かう言葉」や「言語外の情報」を手がかりにして、相手の「内なる言葉」、さらには「内なる言葉」にすらなっていない「漠然とした思考や感情」を高い解像度で類推できる能力のこと

本書では発信する側のコミュニケーション能力を強化するための方法論として紹介されていたけど、逆も然り、なんじゃないかと。

「外に向かう言葉」⇔「内なる言葉」⇔「言葉にならない漠然とした思考や感情」という3つの層は、自分だけじゃなくて、コミュニケーションの相手側にもある、ということ。

コミュニケーションは、「外に向かう言葉」を介してなされているけど、「外に向かう言葉」の裏には、「内なる言葉」「言葉にならない漠然とした思考や感情」がある。

コミュニケーション能力が低い人(私)は、「外に向かう言葉」をそのまま額面通り受け取ってしまう傾向が強い。

コミュニケーション能力が高い人は、「外に向かう言葉」や「行動や仕草」などから、「内なる言葉」のみならず、コミュニケーションの相手すら自覚できていない「言葉にならない漠然とした思考や感情」をも、解像度高く把握している。

そう考えると、コミュニケーション能力の定義は、見出しの通り、

コミュニケーション能力とは「外に向かう言葉」や「言語外の情報」を手がかりにして、相手の「内なる言葉」、さらには「内なる言葉」にすらなっていない「漠然とした思考や感情」を高い解像度で類推できる能力のこと

と、定義できるのではないか。

(メモ)本能型の天才は「説明できない」

一方で、自分の知っているコミュニケーション強者の人は、内なる言葉の解像度が高いか、というと、一概にそういうわけではないかもしれない。(あれ、定義違うかも。)

これは、解像度が低いまま、漠然としたままの気持ちを類推し、把握できてしまう、客観的に説明はできないが、結果としては正解な行動が取れる、天才、キングダム的にいえば「本能型」なコミュニケーターもいるからだと思う。一般にコミュニケーション能力が高い人、というとこっちのイメージ。

一方で、そこに解像度の高さを持った「知略型」のコミュニケーターが混ざっていたとしても、多分外から区別はつかない。

だから、自分のような、いわゆるコミュ障の人にとって、希望の光なんじゃないかと。特定の方法論によって、コミュニケーション能力が磨ける、という道がある。

(メモ)形式的で建前まみれの茶番は「内なる言葉」による会話

たまに、会議などで形式的で建前まみれのコミュニケーションがなされることがあり、茶番に感じることがあるが、あれは、単なる茶番ではなく、「内なる言葉」対「内なる言葉」による高度なコミュニケーション、と捉えると、見え方変わる。

茶番、じゃなくて、どういう「内なる言葉」がやりとりされているの会話なのか。

(メモ)「言葉にならない漠然とした思考や感情」=潜在意識にも何段階かある

「言葉にならない漠然とした思考や感情」には、人間という種の本能レベルの感情の反応もあれば、育ってきた文化や背景によるものもある。

「言葉にならない漠然とした思考や感情」と、一緒くたにまとめて捉えるのではなく、いくつかの層として捉えられると、より解像度が上げやすくなるのではないか。

*人間としての種の本能レベルの話は、進化心理学の本を最近読んだ影響受けてる。こちらも良書だった。

(メモ)SEOコンテンツ作成の極意もこれ

SEOコンテンツを作る上での、顕在ニーズとか潜在ニーズとかの話も、これに近いなと。検索キーワードとして打ち込まれるのが、「内なる言葉」で、その裏にある検索意図とは、まさに、「言葉にならない漠然とした思考や感情」のこと。

掛け合わせの検索ワードは、同じ「内なる言葉」を打ち込んだ人の中で、もう一段、解像度が高かった人の「内なる言葉」のパターンを示して、どういう広がりがあるのか、のヒントになる。

また、上位のコンテンツは、多くの人が自分の「内なる言葉」さらには、「言葉にならない漠然とした思考や感情」に一致度が高かったと判断したものが並んでいることになる。

さらに、最近ではここに「誰のコンテンツが読みたい」に関する「言葉にならない漠然とした思考や感情」がアルゴリズムとして組み込まれた、と考えるとヒントになりそう。

<今週の参照・引用元>

毎週note書いてます!

同じ本を読んでも、その時の自分の成熟度や問題意識によって違った気づきや学びがあるので、できるだけその時その時でメモとして残しておいた方が良い。ただ、それをネットに公開すると、自分のレベルがバレてしまう。それを上回るメリットがあるのか。

※今回は、10月27日(日)~11月2日(土)分の週報になります。

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