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Home, Second, Thirdの順で

先日、参加したワークショップの中で二つのキーワードがあった。

Stay Home と Stay House

Stay Home と掲げられたけれども、Home が Home ではなく、House としての役割に過ぎなかったのではないか、というくだりだった。今、我が家は居心地がよいので、この捉え方には正直、はっとさせられた。そして日本全体を見渡すと、そうだったのか、と複雑ながらも納得した部分があった。

居心地の良いThird Placeを求めて

10年前ちょっと前、初めての育休が明けた次の年から、私は朝活や勉強会・セミナーに参加して、社外での知り合いや友人づくりをしていた。仕事でのちょっとした行き詰まり感があり、外への広がりを求めていたのだと思う。やがて対話型ワークショップに出会い、ワールドカフェやOST、ダイアログのイベントに参加するようになった。居心地の良い Third Place にいくつか出会ったのもこの時期だったし、ワークショップデザイナーの学びをしたのもこの頃だ。

そんな中で夫の海外駐在の話が進んだ。仕事は大切だったけれども「海外に住んでみたい」想い の方が強く、あっさりと仕事を辞めることにした。今考えると、Second Place も失い、Third Place との繋がりも疎遠になり、Home だけを残した形での海外移住 となった。

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(#写真は今ではThird Placeにもなったタイでの一コマ)

専業主婦になるなんて思ってもみなかったし、専業主婦という肩書は嫌いだった。駐妻という肩書もそれほど気に入らなかった。なので、今まで時間がなくてできなかったことをしようと捉えなおし、語学に時間を費やすことにした。最初は英語、子供たちが二人とも学校や幼稚園に進むようになってからはタイ語学校に午前中・週5で通った。大変だったけれども、いろんな国からの生徒がいてとても充実していたし、「語学留学に来た」と思うと気が楽だった。語学学校に通い続けて2年ぐらい、ここがひとつのThird Placeになっていった。

他にも心地良いつながりはいくつかあったが、大切な個々の繋がり止まりだった。また、Third Placeになるかな、と思っていた関係性が崩された経験をしたのは大きかった。

その傍らで大きくなった「働こう」という気持ち

当初、3年で東京に戻ろうと考えていた。3年だったら仕事のブランクも何とかなる。しかし、夫の当初任期の3年が過ぎ、契約が1年更新。母子で先に帰国する?という案も出たが、タイに住むこと自体は好きだった。語学の他にやりたいことはやってみたし、残ったやりたいことは「タイで働く」ということだった。今思うと、Home の次の Second Place を探していたのだろう。

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バンコクで働くことにはいろいろと障害があったが、少しずつクリアできていった。さらには転職も経験し、良いチームメンバーに恵まれ、夫が先に本帰国という、5年前には想像もしなかったところまで辿り着いた。

1年の逆単身赴任生活で、私は娘との関係性がとてもよくなった。あの1年は私と娘にとって必要な時間だったのだと思う。そして「今は家族一緒にいたほうがいい」と思い、東京に戻る決心をする。

4人の関係性作りの再スタートとここで立ち止まれたこと

2019年は家族4人での関係性作りの再スタートだった。私の日本での仕事と子供たちの日本での生活と夫の仕事と。忙しい1年を駆け抜けたと思う。

そしてここで立ち止まれたことが本当によかった。立ち止まらなかったらHomeのありがたさを感じぬまま、また駆け抜けてしまったと思う。ありがたい3か月だった。

その間、Second Placeにも少しずつ居心地の良さが出てきた。来週、久しぶりに出社するが、「自由に働きたい」がこんな形で叶ったなとも思う。

そしてこの間、タイに行く前から繋がりのあるThird Placeでオンラインでの繋がりがあった。一度、その繋がりは弱くなったり切れてしまったと思ったけれども、あっという間にその当時の感覚に戻った。

だから次は自分の手でThird Placeを創り出していこうと思っている。順番は間違えずに、Home, Second, Thirdの順で少しずつ整えていきたい。

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