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#4 無意味と過去にゴールドエクスペリエンス

ひらめいた!!!

と思って付けたタイトル。

コピーライトと名乗るなんて本当に滅相も無くとても恐れ多いが、
語呂とか名前をつけるのは意外と得意な方である。(付けたはいいが、名前負けすることも多々ある。)

実際に、高校の文化祭で、入浴剤を作る体験をする出し物になり、「泡立ちぬ」と名を打ち、地元の新聞に紹介されたことがあるが、ほとんど人は来ず、とても惨めな気持ちなったのを思い出す。

と、まあどうでいい思い出は置いておいて。

よく耳にする、

「相手と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ。」

という言葉に、昔から引っかかっている。

初めて聞いた時は、それこそ惨めな思いをしたい高校生の時。
当時付き合っていた、彼女に言われた。
(呪文のように唱えられ、自分が変わらなければと追い込んでいたが、彼女自身は全く変わる気配は無かったと今になって気付く)

しかし、ふと、本当にそうか?と感じた。

確かに、言葉の意味そのままの解釈をすれば、
過去に起きた事象は、変わることはない。
そしてこれから起こるであろう未来は、今の選択で変えることはできるだろう。

また、相手を支配し、変えさせることはできない。が、自分自身は相手に合わせることができる。

うんうん、意味はわかる。

でも、、、、

過去に起きた事象は絶対に変わることはなくら
それが、自分にとってショックな出来事だとしても、その事象に対する意味合いは変えることができるはずだ。

その時には、なんでこんなこと起きるんだ!
でも過去は変えられないから前を向いていくしかない!と無理やり自分を納得させていた。

それが、今になるとどうだろう。

嫌な失敗した経験も時間が、経つと、
「ああ、あれはあの時の俺にとって必要な事象だったんだな。あれがあったからこそ、今のこの感覚があるんだな。」と思うようになった。

呪文を唱える魔女のような彼女と付き合っていたことも決して無駄ではない。
それがきっかけで今こうして書くネタがあるし、思考の幅、感覚の幅も広くなった。

というように
その時々により、人は意味合いを勝手に変えることができる。
(自分の都合のいいようにでもあるが)

だからこそ無意味なことなんか一つもないと僕は思っている。

無意味に思えることも、
起こるには、必ず訳がある。

それを、無意味してるのは、他でもない自分自身である。

「うわーマジ意味ねーじゃん」

言いたくなる気持ちもとてもよくわかるが、
僕は絶対に言わないようにしてる。

これからの自分次第で、
意味合いは、変えられるからだ。

意味のない過去にこそ、生命を与えて。
再び、息を吹き返す。

ジョルノ・ジョバーナは、

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」

と言うけれど、生命を与えてくれる。

とまあ、めちゃくちゃなことを言い、
おとぼけてごまかし、カッコつけているが、

逆に無意味なことをするのも好きだ。

というか、そんな全部に意味を持たせてたら疲れてしまう。

経験上、無意味に思えることが、意外と後になって役に立つこともたくさんある。
(自分の性格上、何かと何かを結びつけることが無意識にやっていることが多い)

無意味なことなんて一つもない。
絶対に何かしらの自分の人生に役立っている。

(言い切るのは、とても勇気がいるなー。
やっぱ怖いから、役に立つ可能性もあると言うか)

では、なぜ僕がそうなったのか。

よくよく考えてみると、
意味を持たせないと、その辛い経験が無駄になってしまう。そして自分が弱いことを知ってるから、自分自身を保つための防衛本能たも言い換えられる。今の自分が、なんとか地に足つけて立っていられるのは、これまでの無駄と思える事に意味を見出して繋いできたからだ。

それとも、ただ単に、
「もったいない」「どうせ無駄なら」という貧乏性のせいなんだろうか。

結局いつも通りぐるぐる周って答えはわからない。
でも答えは一つじゃないし、自分が出す答えが一つにする必要はなく、いろんなのもを混ぜて大きい括りで見たら一つになればいい。

「全てに意味を求めるな。」
「意味ないことなんて一つもない」

うーん、相反してるようで難しいけど、
敢えて言うなら、

「急いで意味を求めるな。意味はあとからでも変えらるから、むしろ全力で今の自分の感情を抱きしめて」


言葉に生命を。
自分の過去に生命を。
無意味に無駄に生命を。

このくたばりそうな文章に、

ゴールドエクスペリエンス。


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