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その「いつか」はやって来ないかもしれないから、思い立ったが吉日だにゃ。

いつか、家族ができたら、猫を飼う。実家の猫が死んだ20代後半くらいから、ずっとそう思っていた。独身で猫を飼うのは、ずっとひとりでいいです、の宣言のようだし、おばあちゃんからも、「結婚できないからやめたほうがいい」と言われていたから、家族ができたら、って思っていたの。

30代に入り、長くつきあっていた恋人と別れ、結婚も猫も遠のいた。

30代後半、いつか、そのうち、と思っていても、その「いつか」はやって来ないかも、とふと思った。

当てにならない「いつか」を待つより、行動を起こしたほうがいいのかもしれない。

結婚はひとりじゃできないけれど、猫はひとりでも飼える。

そこで、野良猫を探すことにした。ちょっとした路地に入ってみたり、マンションとマンションのあいだに目を凝らしてみたり、ゴミ置き場にしばらく佇んでみたりした。野良猫は見つからなかった。

ペットショップで買うことは頭になかったから、保健所に収容されている猫を迎え入れようと思ったけれど、独身の私は条件に合わなかった。

猫を飼うにも家族が要るのかよ、とやさぐれかけたが、当時勤めていた会社の近くに動物愛護団体があり、そこは保証人さえいれば、ひとり暮らしでも譲渡してもらえることがわかって、さっそく譲渡会に参加してみた。

所狭しと並べられたケージに入った猫たちは、ほとんどが寝ていた。三毛、キジトラ、ハチワレ、長毛、短毛、仔猫、老猫と、よりどりみどりだった。

隣のひとは、三毛猫がいいと言う。あっちのひとは、仔猫がいいと言っている。
わたしは、選べなかった。どの子もかわいい。

どうしよう、どうしようと迷っていたら、ハチワレ猫が目に止まった。みんな寝ているのに、その子は起きていた。起きて、わたしにちょっかいを出そうとしていた。

子どものころ実家で買っていたポンちゃん(3姉妹猫で、ピン・ポン・パンと名付けていた)と似ていた。

その愛護団体は2頭飼いを勧めていて、ハチワレと一緒にボランティアさん宅で暮らしているのは、白地に茶ブチと、キジトラだという。ハチワレはメス猫だから、同じメス猫の白地に茶ブチだったら穏やかな生活が、オス猫のキジトラなら愉快な生活が待っていると言う。

猫とはいえ、オスと暮らす自信がなくメス猫2匹で申し込んだけれど、帰宅途中に気が変わった。キジトラはおばあちゃんが飼っていた太郎という名のメス猫に似ていた。キジトラをおばあちゃんに見せたら喜ぶかもしれないと思ったのだ。それに、猫でオスと暮らす練習をしようとも考えた。

白地に茶ブチのメス猫を見捨てるような心の痛みを感じたけれど、ハチワレとキジトラを迎えることに決めた。

1週間後、愛護団体の代表が猫を連れてやってきた。生後半年、避妊も去勢も済んでいたが、まだ仔猫だから、いたずらするものがないか、安全に暮らせるか、ひととおり家を確認後、ケージから出された猫たちは、へっぴり腰であちこち嗅ぎ回っていた。

「飼いやすい猫たちだと思いますよ」と代表は言った。

あのときの「飼いやすい」は、ある意味当たりで、ある意味外れだ。子どものころ飼っていたピン・ポン・パンのように、ときどきなでさせてくれたり、遊んでくれたりはするけれど、たいていの時間は高いところで寝ているか、好き勝手にしているのだろうというわたしの予想を大きく裏切り、わがやの猫たちは、犬のように育った。

2019年11月にはじまった猫たちとの暮らし。わたしはいまでも独身だ。猫のせいで結婚できないのかどうかは、わからないけれど、あのとき、いつか家族ができたらという考えを捨て、猫を飼うと決めて、本当によかった。

とはいえ、2週間のトライアル期間中は、「やっぱり無理かも」と思ったことを、ここに告白する。その話は、また今度。

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仔猫時代の我が家の猫たち。愛護団体のサイトからお借りしました。





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