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心配するより、信頼するだにゃ。
愛護団体から迎えた2頭の猫、ピールとよっちーは、生後半年、避妊も去勢も済んでいたが、愛護団体のひとからは「人間でいえば5歳くらい。気をつけて見ていあげて」と言われていた。
日中、仕事で家を留守にするあいだはケージに入れておくのがルールで、トライアル期間の2週間はまじめに従った。
会社に行く直前にケージに入れる。玄関から外に出るまで、じーっとこちらを見ている。かわいそうで愛おしくて、会社に行きたくない度が爆上がりする。
子どもを保育園に預ける親の気持ちって、こんなだろうかと思い、子どもがいる先輩に聞いてみた。
「最初はそうだった気がする」
というのが先輩からの返事だった。
猫たちは、次の日も、そのまた次の日も、じーっと見ていた。再び先輩に聞いてみた。
「かわいそうで、申し訳なくて、離れたくないって気持ち、いつまで続くんですかね」
「うーん、1ヶ月くらいじゃない?」
先輩はおおらかなひとだった。
トライアル期間が終わると、ケージから出して会社に行くようになったのだが(週末、ケージから出して一日中いっしょに過ごしたら、入れるのがかわいそうになってしまったからだ)、それからは、会社にいるあいだ中、心配で心配で、仕方なかった。
紙袋の取っ手、ちゃんと切ったっけ? すぐ袋に入ろうとするから首に巻きついて窒息死しているかもしれない。お風呂のお湯、抜いたっけ? ふたに乗って割れて、溺死しているかもしれない。洗濯機のコンセント、抜いてきたっけ? 飛び乗って電源をオンしちゃって、洗濯機に落ちて、くるくるしちゃって死んでいるかもしれない。
先輩に三度聞いてみた。
「子どもを保育園に預けてて、死んだらどうしようって心配になりません?」
先輩はいいことを教えてくれた。
「心配するより、信頼してるよって波動を送ったほうが、いい気がする」
それからわたしは、ふと不安に襲われたときには、「信頼してるからね」と猫たちの姿を思い浮かべて、念を送った。
猫たちがやってきて、ひと月後。海外出張で1週間、家を空けることになった。そのあいだは、ペットシッターに頼み、家で世話をしてもらうことに。
異国の空の下、「信頼しているからね〜生きててね〜大丈夫だからね〜」と毎日祈った。
オーガニックのフードをお土産に、帰宅した。シッターさんからの報告書にも、ちゃんとごはんを食べ、うんにょをし、たくさん遊んで、いい子にしていたことが記されていた。
「えらかったねー。信じてたよ」
ピールとよっちーに、声をかけた。よっちーはぐるぐるとのどを鳴らしながらまとわりついてきたが、ピールはベッドへ飛び乗り、わたしの顔を見ながら、おしっこした。
猫たちがやってきて、5年半。いまでも外出すると猫たちのことが心配になる。それでも、前よりは確かな気持ちで、「大丈夫。だってピールもよっちーも、いい子だもの」と信頼できている気がする。
子育て中の先輩からは、ほかにも猫育てに応用の効く、いいことを教わったのだが、その話はまた今度。