見出し画像

客人のひと皿


*漆の器と人参のポリポリ春巻き

 結婚を機に、暮らしと仕事の場を東京から福島県の三春町へと移して、今年で8年の月日が経ちました。三春町で暮らす我が家には、東京をはじめとした県外から友人たちがよく遊びに来るようになりました。私が営む器と生活道具の店「in-kyo」で取り扱う器などの作品をつくる作家たちも展示期間中に滞在したり、ライブイベントを行うミュージシャンとは小さな打ち上げをしたりということも。こうしたことは東京での暮らしとの大きな変化のひとつかもしれません。
 近くには温泉旅館もあるし、我が家はお宿として特別なおもてなしができるわけでもありません。それでもこうしてはるばる三春までやって来てくれて、気取ることのないふつうの食卓を共に囲むひとときは、この上なく幸せなことだとしみじみ思うのです。
 宿泊客の中には一宿のお礼にと、その日の晩ごはんの一品を作ってくれるひとたちもいます。そんな料理上手たちは、慣れない台所を上手に使って手際よく料理をしてくれて。
もてなすはずのこちらがいつのまにかもてなされ、客人のとびきりおいしいひと皿が食卓に並ぶのです。
 そのあたたかな時間を反芻するように、客人のひと皿を自分でも料理してみるのですが、何度も何度も繰り返し作り、いつの間にか我が家の定番となっているものが数多くあります。
 そんなひと皿を教えてくれた人たちのうちのひとり、漆の器をつくる作家の宮下さんとの出会いは、もうかれこれ15年以上前。東京でお店を始めることになった際、友人から紹介されたのがきっかけでした。漆の器はそれまで汁椀を自分用に使ってはいたものの、本来は少し敷居が高くハレの日の器。自分とは少し距離があるものというイメージを持っていました。それが宮下さんという作り手に出会い話を聞いているうちに、知らなかった漆の世界にどんどん興味がわくようになっていったのです。そう言うと宮下さんが饒舌な人物のようだけれど、その真逆。ポツリ、ポツリと言葉少なく静かに話をする分、語られるひとつひとつが大事なことなのだと、聞きもらさぬようこちらも必死になります。けれども漆のことは知れば知るほどわからないことが増えていくのです。知識として頭でわかったつもりになっていても、作り手によっても考え方はそれぞれ違い、皆が皆全く同じ工程でものづくりをしているわけではありません。ましてやそこで使われている漆自体、採取する木によっても違うし、漆を掻く職人によっても質感が違うということもはじめて知りました。
 「漆はわからない。そのことが面白いと思ったのです」
これは宮下さんが大学に入って初めて漆という素材を扱うようになり、陶土や木材といった他の素材とも違う漆に対してこのような印象を受けたそうなのです。私自身はその話を聞いても、はじめはそれがどういうことなのかがわかりませんでした。でも同時にそのわからなさは一体何なのかを知りたいとも思ったのです。百聞は一見に如かず。知るための手がかりとして、まずは宮下さんの漆の器を使い始めることにしました。
 最初は汁椀を。それまで使っていたものよりも深さがあり、具沢山のお味噌汁やスープにも使い勝手が良さそうだと思って選びました。「お茶漬け椀」と名付けられたその椀は、ほぼ毎日のように使い続けてかれこれ10年以上が過ぎ、真新しかったときには落ち着いた朱の色だったのが、次第に艶が出て透明感が増してきました。それも「気がつけば」というもので、スピード感のある世の中の流れなどどこ吹く風。ゆっくりゆっくり日々の暮らしという時間を積み重ねたことで生まれたもの。熱々のお味噌汁をよそっても、手に伝わる温度はほんのりとあたたかくやさしい。何より私が作った、なんて事はない汁物が美味しそうに見えることが嬉しい。ずいぶんと器に助けられている気がします。少し距離を感じていたはずの漆の器は、ホッと落ち着いて親しみが感じられる日常使いの器へといつの間にか変化していきました。
 炊き立てのごはんが似合う飯椀や、パスタも似合うお皿。お弁当箱にお重箱…。ひとつ、またひとつと、この10年ほどで漆の器が我が家の食器棚に増えていき、月日をともに積み重ねながらその楽しさに惹かれ続けています。
 宮下家の食卓におよばれすると、そこには使い込まれた漆の器がズラリと並びます。それは豪華絢爛ということではなく、どれも特別ではない素朴で日常的な景色。洗いざらしのシャツが肌に心地よいのと同じように、普段使いの漆の器は宮下家の食卓にしっくりと馴染んでいるのです。汁物もごはんも、青菜のお浸しや揚げ物さえも「どんな料理も大丈夫ですよ」と、漆の器たちが言っているかのように、なんでも受け止めてくれるのです。
「私はこれ」宮下家のふたりの子どもたちは、幼い頃から自分が使うお気に入りの器を自ら選んで使っています。そんな宮下家のみんなが大好物だという、人参のポリポリ春巻き。
 料理上手な宮下さんが、in-kyoの展示期間中、我が家に滞在していたときに作ってくれたのがこの春巻きです。まずは通常サイズの春巻きの皮を1/4の大きさに切っておきます。人参を3㎜ほどの千切りにし、春巻きの皮で巻きやすい量をのせてくるりと巻いて、あとは好みの植物油で揚げるだけ。人参の下茹や下味もせず、ただひたすら巻いて揚げるだけという手軽さ。巻いているときはこんなに作っては余るだろうと思うほどの量なのに、パリパリに揚がった皮の食感と、ポリポリと少し歯ごたえがあり、甘みを感じる人参は、止まらない美味しさであっという間になくなってしまうのです。子どもたちだけでなく大人にも大人気で、塩をパラリと振ればビールのおつまみにもピッタリ。
 宮下さんに教えてもらってからは、その後我が家で何度作っていることでしょう?盛り付ける器はもちろん宮下さんの漆の器。「漆の器に揚げ物だなんて!」などと驚かれてしまいそうだけれど、「コロッケ皿」と名付けられた長皿には名前の通り、揚げ物が良く似合うのです。半紙を斜めに二つ折りをしたものや笹の葉などを器に敷いて、その上に春巻きを盛り付ければおもてなし料理の一品に。もちろんその立役者は漆の器なのだと納得してしまいます。
 特別な日だけでなく、むしろ毎日の食事で使いながら洗っては拭いてを繰り返されている、はたらきものの漆の器。そのツヤは控えめで美しく、そして誇らし気でもあるのです。

#創作大賞2024 #エッセイ部門