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霜月の終わりに思ったこと
1カ月ぶりの投稿。
追われてでもなく、やらなきゃ!というのでもなく。
やっと心落ちつかせてパソコンの前に座り、
noteに向き合う時間が取れました。
いや、時間というのとはちょっと違いますね。
「気持ちになった」の方が合っているかもしれません。
今月頭には父の一周忌。
その余韻にひたひたと浸っている間もなく、
すぐに三春へ戻り、イベントが次々と続き…
頭の中が猛ダッシュしていたようだった。
どこか身体も力んでいたのだろうか。
ここのところ食いしばって寝ていたようでアゴが痛い。
が、アゴは痛くてもとにかく濃く、楽しく、実りある、
そして心あたたまる1カ月だった。
以前だったら「あぁ楽しかった!」で、
満足して思考を終了させていたかもしれない。
けれど今は分析するように「なぜそうだったのか」と、
ずっと考え続けている。
たとえば、子どもの頃は苦手だった「演歌」について。
(演歌の話かいっ!)
父が晩酌をしながらテレビのチャンネルを演歌や昭和歌謡の
番組に変えた途端、私と兄は逃げるようにリビングへ退散していた。
が、今あらためて聞いてみると、歌詞の奥深さや
ゆったりとしたメロディーがしっくりきたり。
自分が歳を重ねたということもあるのでしょう。
出会うべきタイミングがやってきたのかもしれないし、
誰から影響を受けたということも大きいかもしれない。
食わず嫌いというのにも似ている。
自分の中の「苦手」が、いとも簡単に「好き」に
上書き保存されるこの感覚。
もう少し若い頃は自分の変化を認められずに
いたかもしれないけれど、大らかになったのか、
今はそれが気持ちよくて面白い。
過去を否定するというのとも違う。
むしろ、ベースがあるからこその変化や更新の面白さに
しなやかでありたい。そしてそのしなやかさとは、
その場その場でただただ流されていくということではなく、
自分の根っこはここですよというたくましさと、他者への
やさしさを持ち合わせていることなのかなと。
今月お会いした皆さまから気づかされたことがたくさん。
ありがとうございました。
今日はふわぁ~りふわりとと飛び交う、数匹の雪虫の姿を見ました。
いつ雪が舞い始めてもおかしくない季節の始まりを、
雪虫が知らせにやって来たようです。